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【川俣・無防備の戸惑い3】「取り残される」危惧 自主避難の動き始まる

 「原発から一番近い場所に取り残されているんじゃないか」
 昨年3月の東日本大震災から数日後、川俣町山木屋地区に住む大内和紀(57)は不安に駆られ始めた。町消防団の分団長を務め、住民の安否確認や被害調査のさなかだった。
 消防団は町の指示を受け、国が測定した空間放射線量の数字を車で地区内に広報した。山木屋郵便局周辺の空間放射線量は毎時15.12マイクロシーベルトを観測したときがあった。
 大内をはじめ多くの住民は当時、放射線量の数字が何を意味するのか分からなかった。国や県、町から避難や放射線防護の指示もなかった。消防団員は作業着に法被を羽織り、マスクなしで活動した。

■まるで戦争
 阿武隈山系に位置する山木屋地区は標高550メートル前後の場所で、東京電力福島第一原発から北西に当たる。郵便局や商店などが集まる地区の中心部と原発は約38キロ離れている。
 県内有数の葉タバコ産地で、ハウス栽培のトルコギキョウなどの花卉(かき)も関東の市場に人気だった。冬季は水田を凍らせたスケートリンクが風物詩となっていた。
 大内は祖父の代から受け継ぐ葉タバコを主に生産した。震災に見舞われたのは、苗の育成に向け、ハウス内で保温設備を取り付けていた時だった。揺れがいったん収まると、団員と合流して地区内を急いで巡回し始めた。
 翌12日、大内の自宅から見える114号国道には、福島方面に向かういわきナンバーの車両が長い列をつくっていた。カーブだろうが、直線だろうが、見渡す限りの車だった。
 自衛隊や警察の車両は避難する車両と反対の浜通りに向かった。車が30台以上も連なったこともあった。「まるで戦争でも起きたかのようだった」。山木屋で生まれ育った50年余りの人生で、初めて見る光景だった。
 12日夕、地区の消防団員約50人が屯所に集まった。誰もが福島第一原発1号機の水素爆発をラジオなどで知っていた。団員は住宅地図を頼りに1軒1軒を訪ねた。「今後どうなるか分からない。いつでも家を出られる準備をしておいてほしい」
 福島第一原発は、14日に3号機が爆発した。状況は日に日に悪化し、屋内退避指示の範囲は原発から30キロ圏内までに広がった。その境目は山木屋地区のすぐ近くだった。地区内で住民が自主的に避難したり、行政区の幹部が避難を促したりする動きが出始めた。

■隣接地域
 大内は町の災害対策本部に頻繁に連絡を入れた。「原発の状況はどうなってる?」「俺たちは避難しなくて大丈夫なのか?」。しかし、明確な答えは返ってこなかった。
 町の地域防災計画には、原発事故の避難者の受け入れや町民の避難、被ばく対策などの項目がなかった。原発から30キロ以上も離れ、国や県が原子力防災対策の必要を認める地域に町は含まれていなかった。
 もちろん、大内は町当局の苦悩を理解していた。地区が屋内退避指示区域にまだ含まれていないことも分かっていた。だが、すぐ近くの浪江町津島地区や葛尾村などから住民の避難が続き、山木屋地区の住民は不安を募らせた。
 大内は17日、川俣町長の古川道郎(67)に直接、電話を入れた。「何の指示もなければ、俺たちは独自に避難する。すぐ山木屋へ来て、状況を説明してほしい」
 「明日の朝、説明に行く」。古川は答えた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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