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【川俣・無防備の戸惑い6】「安全、どこまで保障」 国の線引きに不信拡大

「浪江」「双葉」などと大きく書かれた紙が川俣町内の各地に掲げられ、避難者を誘導した=昨年3月13日、川俣町提供

 川俣町内を通る114号国道は、浜通りから避難する「いわき」ナンバーの車で激しく混雑した。昨年3月12日午後4時半ごろ、震災から丸1日が過ぎた。山木屋地区に住む女性は2人の子どもを車に乗せ、自宅から西にある町中心部に向かった。
 カーブが続く山あいの坂を下りきると、町内を南北に走る349号国道との交差点に差し掛かる。「浪江」「双葉」...。浜通りの地名を大きく書いた紙が目に入った。避難者を誘導する人が道案内のために掲げていた。通り掛かった川俣南小の校庭は車で埋め尽くされていた。
 「ここまで来れば大丈夫かも」。女性の恐怖心は少し薄れたが、思いもしなかった光景に、差し迫った事態をあらためて感じ取った。
 自宅から約15キロ離れた町西部の避難先にたどり着いたころ、辺りは薄暗くなっていた。

■地図とコンパス
 女性は震災翌日の12日、自宅近くで出会った防護服の警察官に促されるように避難を決意した。だが、その当時は東京電力福島第一原発1号機の水素爆発を知らなかった。
 女性は13日まで避難先で過ごした。翌14日は子どもたちの登校日だった。車で送迎する途中、ガソリンスタンドには車が渋滞の列をつくっていた。女性は震災前日にガソリンを満タンにしていたが、車列を目の当たりにして、深刻な物資不足を実感した。
 学校から避難先に戻る途中だった。町外に住む母親から携帯電話に災害用伝言メールが届いた。
 「原発が爆発したみたいだけど今どこにいるの? 屋外にいるなら中に入った方がいい」。着信は14日午前11時40分ごろ。福島第一原発3号機の水素爆発から約40分後だった。母親はテレビで爆発を知り、メールを送っていた。
 15日、屋内退避指示が30キロ圏に広がった。女性は避難先で地図を広げ、コンパスでなぞった。自宅がある山木屋地区は30キロを示す円周の少しだけ外側に位置する。だが、30キロ圏に含まれないからといって、放射性物質の影響がなくなるわけではない。「この線引きはどこまで安全を保障してくれるのだろう」。国への不信が日に日に強まった。
 18日、郡山市から関東方面に向かう高速バスが運行を再開したことを知った。「原発から遠くへ逃げられる」。翌19日、子どもと一緒に県外に向かった。

■隣接地の線量
 文部科学省は原発事故に伴い、空間放射線量のモニタリングを開始していた。16日午前、女性の自宅から数キロ離れた浪江町津島地区の114号国道沿いで、毎時58.5マイクロシーベルトの線量を確認した。余震も続き、原発事故の先行きが全く分からない状況だった。
 女性は子どもを県外の避難先の学校に転校させるかどうか悩んだ。夫は山木屋地区で牧場の再開に向けて準備していた。自宅周辺の線量は低下傾向を示しているとはいえ、毎時10マイクロシーベルトを超えた。子どもの通学先は、震災前とは異なる町内の学校を選んだ。町内に戻ったのは、始業式の2日前だった。
 新学期が始まったころ、政府は町長の古川道郎(67)に内密の面会を申し入れた。訪問の目的は明かされないまま、約束の日の夜を迎えた。町役場に姿を見せたのは、内閣官房副長官の福山哲郎(50)だった。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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