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再編/小高からの報告(44)3カ月...「何も変わらない」 遠い帰還への道

人の営みがない小高の街の中で、道路に崩れた人家を雑草が覆いつつある=13日

 南相馬市小高区と原町区南部が警戒区域から避難指示解除準備区域など3区分に再編されてから16日で3カ月になる。再編直後は多くの住民が足を運んだ。しかし、除染やインフラ復旧が進まず、商店や企業は閉じたままで宿泊もできない街は今、ひっそりとしている。住民が期待した"帰還"までの道のりは遠い。再編後の課題を伝える。

 だいぶ落ち着いたとはいえ、苦情の電話は今も来る。
 「どうして警戒区域を解除したのか」「区域再編しても何も変わらないではないか」。南相馬市の職員はそのたび丁寧に説明するしかない。警戒区域のままでは、人が入れず上下水道などインフラの復旧が進まないこと、区域再編は「白地」の自由ではなく、立ち入り条件の緩和であること...。しかし、行政の理屈と住民の気持ちには埋め切れない溝がある。
 「何も変わらない」は警戒区域だった原町区南部と小高区の多くの住民に共通する気持ちだ。山側の地震被害は小さかったものの、まだ放射線量が比較的高い。一方で毎時0.20マイクロシーベルトと福島市などより低い小高区役所の周辺は地震で損壊した住宅が多く、解体はほとんど進んでいない。海岸線の土地は地盤沈下が激しく、今も水がたまったまま。泥と雑草の向こうに壊れた家屋が無残な姿をさらしている。
 平日の小高の中心街を通る車は少ない。たまに見掛ける人影は、環境省が除染の事前調査で実施している放射線モニタリングの従事者。ヘルメットにマスク姿の3人1組40班が連日計測を進めている。宿泊は禁止されているため、夜の住宅地は真っ暗だ。
 「10万円の罰金がなくなっただけだよ」。鹿島区の仮設住宅から小高区大井の自宅の片付けに来ていた会社員中島孝一さん(64)は汗を拭いながら嘆く。自宅は津波で床上60センチまで水に漬かった。ボランティアの助けで土砂とぬれた畳や家財は庭に出したが、室内はまだざらつく。
 解除当日、すぐにでも帰れるような気持ちで自宅を見に来た82歳の母親は、区域再編が帰還可能を意味するものではないと中島さんから聞かされ、落胆を隠さなかった。「だれも仮設で死にたくはない。年寄りはなるべく早く帰りたいからね」と気持ちを思いやった。

 小高に帰る住民の多くはペットボトルの水を持参する。
 小高の中心街は地盤が悪く、水道管は95%が耐震性の低い石綿セメント管だったため至る所で破損した。
 市は4月に発表した旧警戒区域のインフラ復旧のロードマップで、小高区の中心部の上水道復旧は今年度末までかかかるとした。まず、全戸の水栓を止める作業から始めなければならない。ようやく水を通して漏水箇所を確認し、補修に着手する。佐藤利秀建設部次長兼水道課長は「当面、基幹施設の復旧を目指すが、どの水道管が使えるか探りながらの作業になる」と長い道のりを語る。
 下水処理場の津波被害や下水管の損傷のためトイレも使えない。市は区役所など区内の21カ所に仮設トイレを設けている。
 上下水道が使えないため、煮炊きや風呂のためにプロパンガスを注文する人もほとんどいない。
 そんな不便なわが家でも「避難先にいてもすることがない」と毎日通う住民がいる。藤橋惣秀さん(72)、タケ子さん(73)夫妻は原町区の借り上げ住宅から小高区東町の自宅のクリーニング店に通う。自宅を見に来て立ち寄った昔からの顧客とお茶を飲みながら「全然変わらないね」「除染もいつになるやら」と愚痴をこぼし合う。庭には手入れをし直した花々の鉢が並ぶ。「花に慰められる」とタケ子さんが言う。

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