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【推進と悔恨のはざま2】「情報が滞っている」 助言の判断材料不足

平成23年3月15日撮影の福島第一原発。1号機(左手前)が水素爆発するなど1~4号機で次々と事故が起きた=東京電力提供

 昨年3月11日、海外出張から帰国した日本原子力産業協会理事長の服部拓也(68)は、関西国際空港近くのホテルで眠れぬ夜を明かした。乗っていた日航機は成田空港を目指していたが、東日本大震災で着陸場所を変更していた。
 計り知れない巨大津波の被害、先行きが見えない東京電力福島第一、福島第二の両原発...。テレビのニュースは未曽有の災害を刻々と伝え続けた。「このままでは原発が危機的な状況に陥る」。時間とともに不安は高まった。
 12日、運行を再開した東海道新幹線に乗り、協会事務局がある東京に戻った。事務局に到着した直後だった。福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発した。国内の原発で誰も経験したことのない事故だった。「格納容器から水素が漏れ、建屋にたまっていることに、関係者が気付くのが遅れた」と顧みる。
 政府による状況把握や対応、見通しの発表が遅いとも感じ始めていた。「情報がどこかで滞っているのではないか」

■参集に手間取る
 原子力安全委員会は11日午後4時から臨時の会議を開き、専門家にアドバイスを請う緊急技術助言組織の設置を決めた。委員会事務局は、組織のメンバーとなる緊急事態応急対策調査委員にメールを送信した。
 調査委員40人のうち、首都圏在住を中心とした14人に招集がかかった。しかし、大震災に伴って電話が通じなかったり、交通の便が悪かったりした。初日の11日に集まった調査委員は4人にとどまった。
 「施設・実用発電炉」を担当する服部も関西で足止めされた上、電話回線の混乱で連絡が取れなかった。
 服部と原子力安全委員会との間で電話が通じたのは、神奈川県鎌倉市の自宅に戻った12日夕だった。調整の結果、翌13日から、霞が関の中央合同庁舎4号館の6階にある委員会事務局に詰めることになった。

■悪化の一途
 委員会事務局には13日以降、10人程度が集まった。24時間態勢での対応を迫られた。ローテーションを組み、委員室で準備を整えた。
 この間、福島第一原発は悪化の一途をたどった。14日に3号機が水素爆発した。15日には2号機で高濃度の放射性物質を含む蒸気が放出され、4号機で水素爆発が発生した。
 首相官邸は委員会事務局のある庁舎から直線で約400メートルの場所にある。官邸には首相(当時)の菅直人、原子力安全委員会委員長の班目春樹らが詰めた。そこには、東電本店や福島第一原発から多くの情報が入っていた。
 だが、調査委員らがいる委員会事務局は情報が不足していた。助言しようにも、判断材料が少な過ぎた。「何もできないじゃないか」。服部ら調査委員はもどかしさを募らせた。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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