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【推進と悔恨のはざま9】「完成品」と信じ導入 米国の技術そのまま

基礎工事をほぼ終えた福島第一原発1号機。原子炉はGE製が導入された=昭和42年ごろ

 「福島は第二の古里。県民の皆さんにおわびしたい」。東京・目黒区の東京工大キャンパスの1室で、特任教授の二見常夫(69)は口を開いた。東京電力元常務で、福島第一原発所長も務めた。今は母校で原子核工学を学ぶ学生を指導している。
 福島第一原発は、大津波によって発電所の全電源を失った結果、原子炉を冷やす機能が失われ、炉心が溶融した。そして水素爆発が起きた。「福島第一原発1号機の建設当時は、米国の原子力技術を日本が懸命に勉強した時代だった。導入した当時は、プラント内の機器の配置に地震や津波などの日米の自然環境の違いを十分に考慮するまでには至っていなかったのではないか」。二見は、東電に入社した昭和40年代前半の記憶をたどった。

■実証済み
 二見は東京工大電気工学科を卒業し、同大大学院原子核工学科に進んだ。電気工学よりも、新しい分野の原子力に魅力を感じたためだった。昭和42年4月、原子力発電の開発を志し、東電に入社した。
 川崎火力発電所に続き、原子力開発研究所に配属された。担当は日本で一般的な原子炉の軽水炉ではなく、次世代の技術とされた高速増殖炉だった。軽水炉の分野には、米国の技術が既に手本として存在していた。
 二見が入社する1年前、東電は福島第一原発1号機の原子炉を、米国のゼネラル・エレクトリック(GE)の沸騰水型軽水炉(BWR)と決定し、GEなどの関係各社と一括発注方式の契約を結んだ。1号機が営業運転を開始する5年前だった。
 二見は、こう思い起こす。「GEは自社の軽水炉を『完全に実証された原子炉(デモンストレーテド・リアクター)で研究・開発する部分はない』と言っていた」。GEの担当者は、最新鋭の石炭火力発電と比較してもコスト的に競争できる、と胸を張っていた。

■大本の設計
 福島第一原発は1号機に続き、原子炉が次々と建設された。県内には福島第一、福島第二の各原発に合わせて10基の原子炉が設置された。当初はGE製が主流だったが、途中から東芝や日立製作所も原子炉を担当し、国産技術がかなり入るようになった。二見は「最初のころは、GEの技術をコピーして国内メーカーが一生懸命に学ぶといった形だった。われわれもGE側の説明通り、完成品だと信じ、研究の余地はないと思っていた」と振り返る。
 だが、GEの技術が決して完全なものではないことを、東電は間もなく思い知らされる。昭和46年3月に1号機が運転を開始すると、さまざまなトラブルが発生した。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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