東日本大震災

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混乱生々しく語る 第一原発の吉田前所長ビデオ公開 福島の講演会

ビデオ映像で事故直後の心情を語る吉田氏(左)。右は薮原氏

 東京電力福島第一原発事故の収束作業を陣頭指揮し、食道がんのため昨年12月に退任した前福島第一原発所長の吉田昌郎氏(57)をインタビューしたビデオ映像が11日、福島市の福島テルサでの講演会で公開された。吉田氏は事故当時の発電所内の混乱を生々しく語るとともに、「体力が戻れば、また現場のために力を出したい」と復帰への意欲も示した。
 冒頭、県民に対して「発電所の事故で地元の人に迷惑を掛けている。おわびする。まだしばらく続くが、全力を挙げて復旧しているので理解してほしい」と謝罪した。さらに、「日本だけでなく世界の知恵を集めて(福島第一原発を)安定化させたいので支援をお願いしたい」と述べた。
 昨年3月14日に起きた3号機の水素爆発が最も衝撃的だったとし、「その時点では何が起こったか分からなかった。破滅的な事が起こっているんじゃないかと。自分も仲間も死んだっておかしくない状態だった」と当時の緊迫した様子を語った。その上で「最初、行方不明者が出たと聞いて、10人くらい死んだかもしれないと思った」と、自らの死も覚悟したことを明かした。
 発電所に残って共に収束作業に当たった部下に対しては「大変な現場に飛び込んでいってくれた仲間がたくさんいる。私が昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩が湧いてくるところがあるが、そのイメージを地獄のような状態の中で感じた」と感謝した。
 講演会は長野県の出版社「文屋」の主催で、県内外から140人が参加した。ビデオ上映後の意見交換で、南相馬市の女性は「事故直後から福島第一原発で働く身内がいる。胸のつかえがとれた」と語った。別の女性は「事故を処理する人たちの上に私たちの生活がある。そういう人たちが報われる社会にしたい」と述べた。
 吉田氏のビデオ出演は、昨年11月から月2回、福島第一原発内で幹部らの精神面の支援をし吉田氏と親交がある人材コンサルタントの薮原秀樹氏を介して実現した。吉田氏は講演会への出席を希望していたが、病気治療中で体力が戻らず、7月10日に都内で薮原氏がインタビューした模様をビデオ撮影した。吉田氏は政府事故調査・検証委員会の最終報告書が公表された7月23日以降の公開を求めていたという。
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 薮原氏は講演会終了後に会見し、吉田氏がお盆明けの復帰を望んでいることを明らかにした。ただ、吉田氏は7月26日に脳出血で緊急手術を受けており「意識は正常だが、復帰(の時期)は延びるのではないか、と聞いている」と語った。上映した約30分間の映像とは別のインタビュー映像があることも明かしたが、吉田氏の私見が含まれているとして、「公開することへの吉田氏の了解は得られないだろう」との見方を示した。

■吉田氏の発言要旨
 私どもの発電所の事故で、本当にご迷惑をお掛けしている。深くおわび申し上げたい。
 (撤退問題が議論になっているが)私が考えていたのは、発電所をどう安定化させるかということ。そんなときに現場を離れては絶対いけない。原子炉を冷やす作業をしている人間は撤退できないと思っていたし、本店にも撤退ということは一言も言っていない。
 われわれが離れ、注水ができなくなればもっとひどく放射能が漏れる。そうすると、もっと放射能が出て、懸命に安定させようとしていた福島第二原発にも人が近づけないレベルになり大惨事になる。逃げられないというのは最初からあった。
 そんな大変な放射能がある現場に何回も行ってくれた同僚たちがいる。私は見てただけ。昔から読んでいる法華経の中に地面から菩薩(ぼさつ)が湧いてくる、地湧(じゆ)菩薩というところがあるが、そのイメージをすさまじい地獄みたいな状態の中で感じた。現場行って帰ってきて、もうヘロヘロになって、寝ていない、食事も十分でない、それから体力ももう限界という中で、また現場に行こうとしている連中がたくさんいた。その後ろ姿に、感謝して手を合わせていた。
 3号機の水素爆発は、その時点では何が起こったか分からないという状態だから、これからもう破滅的に何か起こってくんじゃないかと思った。あれだけのがれきが飛んできて、私を含む免震重要棟の人間は死んでもおかしくない状態だった。
 (免震棟に残っているメンバーの名前をホワイトボードに書いておくようにと部下に指示したとされるが)最後まで残って闘ったのはこんな人間だぞってのを残しておきたかったのだと思う。
 今後はいろんな形でメッセージを発信したい。一緒になった仲間の経験も伝えたい。体力が戻ったら、現場のために力を出したい。

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