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今を生きる 将来見据え移住決断 来年にも中通りへ

収穫後のトウモロコシを刈り取る菅野さん。農業を離れることも覚悟している

■飯舘から西会津に避難 農業 菅野慶一さん 38
 飯舘村の農業菅野慶一さん(38)は避難先の西会津町で畑仕事に励む。人の縁に恵まれ、大好きな農業に携われる日々は充実している。しかし、自分の将来や離れて避難する両親のことを考え、来年にも古里により近い中通りに移ることを決めた。理想と現実の差に戸惑いながらも新たな一歩を踏み出す。

 震災前は父今朝男さん(64)、母和子さん(61)と共に飯舘で盛んなリンドウの栽培や稲作、繁殖牛5頭の飼育で生計を立てていた。父が一代で規模を大きくしてきた農家だ。2、3年後には長男の自分が経営者として跡を継ごうと考えていた。
 東京電力福島第一原発事故が人生を狂わせる。牛を売り払い、田畑を放置したまま、放射線量が低く友人がいる西会津町へ移住した。アルバイトで生活費を稼ごうと考えていたが、家探しに訪れた町役場で、町内の尾野本の農業渡部定衛さん(62)が働き手を探していることを知った。雇用契約を結び、渡部さん方で昨年6月から日曜を除く毎日、キュウリ収穫や消毒、栽培管理などに励んでいる。
 原発事故前と同じように農業をやっていると、避難していることを忘れるような錯覚に陥ることもあるという。古里と似た自然の香りに心が落ち着く。渡部さんには食事に誘ってもらうこともある。感謝は尽きない。だが、将来を考えると西会津にとどまり続けることはできない。
 両親は伊達市の借り上げ住宅で暮らしている。妹3人は県外に嫁いでおり、世話ができるのは長男の自分しかいない。会津は遠い。来年中には古里と両親に近い県北、県中両地区あたりに移り住む予定だ。
 農業を続けたい気持ちはあるが、「風評被害が根強い。自分が家庭を持ったときに生計を立てられるかは分からない」と考えてしまう。10年、20年後の人生は見当もつかない。それでも明るい未来を信じるしかない。「以前のように親戚が集まってにぎやかになるような場所が欲しい」。それが今は一番の願いだ。

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