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水門閉じに海へ 市職員、責任感人一倍強く

■南相馬市原町区下渋佐 浜須義光さん(50)
 「ネクタイを締めた男性2人が避難誘導をしてくれたおかげで助かったんだ」。義光さんの妻の明美さん(47)は、南相馬市鹿島区役所を訪れた住民がそう話したことを人づてに聞いた。「きっと主人に違いない。責任感の強い人だったから...」
 義光さんは5人の子宝に恵まれた。南相馬市鹿島区役所の産業課(現産業建設課)農林水産係で漁港や田畑の管理を担当していた。
 同僚らによると、義光さんは震災当日の昨年3月11日、津波が住宅地に入るのを防ぐため、烏崎海浜公園そばにあるゲート(水門)を閉めに向かい、住民を避難誘導した。その後、津波に遭ったとみられる。義光さんは震災から2日後、真野小のそばで見つかった。
 「大丈夫か」。地震発生の直後に緊迫した声で義光さんから安否を気遣う電話があった。自宅にいた明美さんは「家の壊れ方がひどい。津波が来るから原町一小に避難する」と答え、同居していた義光さんの父母と一緒に自宅を後にした。この電話が夫婦の最後の会話になった。
 責任感が人一倍強かった。震災2日前の地震の際は食事中だったが、義光さんは港の様子を見るために箸を持つ手を止めて、家を飛び出した。
 義光さんは以前、九死に一生を得た経験があった。平成17年2月、仕事で入った原町区の山中で、雪の重さで折れた枝をチェーンソーで切り落とそうとして9メートルほど滑落。頭蓋骨が陥没し、あばら骨を6本折る大けがをした。医師から生命の危険も告げられたが、不屈の精神で約9カ月後に復職した。
 義光さんは消防団活動も熱心だった。明美さんは「最後の最後まで避難誘導に当たったのでしょう。1度助かった命を、住民の命を守るために役立てた。真面目な、あの人らしい生き方だった」と気丈に語った。

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