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(6)命削った避難生活 認定却下、納得いかず

避難生活の中、亡くなった常盛さんの遺影を見詰めるキミ子さん

 2012年2月3日は朝から冷え込んだ。南相馬市小高区から避難し、鹿島区の仮設住宅で暮らす藤田キミ子さん(75)は、夫の常盛さん(80)=当時=に食欲がないのが気になっていた。朝食はほとんど残した。昼も「いらない」と断り、口数も少ない。
 夕飯はしっかり食べてもらおうと台所に立ちながら居間でこたつにあたる常盛さんを見て驚いた。唇は紫、顔はいつもより白っぽい。「お父さん、どうしたの。お父さん!」。呼び掛けにも、言葉は返ってこない。
 かかりつけの南相馬市立総合病院に電話すると、できるだけ静かに連れてくるように言われた。船大工から建築業に転じた常盛さんは医療事故のため50歳ごろから車いす生活だった。意識も薄れ気味の常盛さんを1人で車に乗せられるはずもなかったが、偶然訪れた知人の助けで病院に運べたのが、せめてもの救いだった。
 しかし、入院3日目の5日午前2時ごろ、常盛さんの容体は急変する。次女の光子さん(53)から連絡を受けたキミ子さんは仮設住宅から軽トラックを飛ばした。ヘッドライトの明かりの先をひたすら目指した。
 病院に着いたキミ子さんが目にしたのは額に汗を浮かべて心臓マッサージを繰り返す医師と力なく横たわる夫の姿だった。キミ子さんは病室にただ立ち尽くした。「先生、もういい。もういいから」。口から出た言葉は50年以上連れ添った夫の穏やかな死を望む妻の本心だった。
 「慣れない場所での生活が夫の命を削ったのに違いない」。キミ子さんは次の晩、市内の斎場に運ばれた遺体の前で一睡もせずに線香を上げ続けた。「なあ、お父さん。本当に情けない(悲しい)。情けない...」。無表情に眠る夫の顔を見詰め、いつまでも胸の内で語り掛けた。仮設に移って8カ月がたっていた。
 3月、光子さんは常盛さんの震災関連死の認定を市に申請した。一級の障害者手帳を持ち、30年にわたり病院通いをしていたとしても、東京電力福島第一原発事故による避難がなければ、こんなに早く命を落とすことはなかったはずだ。
 しかし、市災害弔慰金支給審査委員会は7月、常盛さんが通う市立総合病院が昨年7月に通常通りの業務を再開していたことなどを理由に申請を退けた。納得ができず、再審査を求めた光子さんに窓口の職員は「これまでに認定が覆ったことはない」と告げた。

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