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「3.11大震災・福島と原発」アーカイブ

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【国策への異議1】司法判断に悔しさ 訴え続けた不安現実に

本尊があった場所を見詰める早川さん。その手前には納骨できない遺骨が安置されている=楢葉町・宝鏡寺

 楢葉町大谷の宝鏡寺は、東京電力福島第一原発から南西に約15キロの場所にある。原発事故後、町内は寺の周辺を含む大半の地域が警戒区域に指定され、立ち入りを制限された。
 東日本大震災と原発事故から間もなく2年を迎える。町外に避難した檀家(だんか)18人が自宅に戻れないまま、他界した。
 季節がめぐる中で、墓地には草が生い重なり、そして枯れた。墓地の除染は、まだ始まっていない。寺の本堂には、納骨できない遺骨が安置されている。
 住職早川篤雄(73)は経を唱え、故人に思いをはせる。「さぞや、無念だろうに」

■本尊の避難
 早川は今、いわき市の借り上げアパートで暮らす。寺には月に1回ほど、帰る。
 池で飼っていた体長100センチのマゴイなど、コイ7匹が持ち去られた。さい銭箱は箱ごと盗まれた。
 寺の本尊は阿弥陀(あみだ)如来立像。鎌倉時代の作品と言い伝えられ、町の重要文化財に指定されている。早川は、盗難から守るために、避難先のアパートに運んだ。その際、本尊をやむなく布にくるんだ。
 アパートは6畳2間。保管先は押し入れしかなかった。「事故さえ起きなければ、こんな目に遭わなかったのに...」。本尊を見詰め、早川はため息をつく。

■設置許可
 「裁判所は原発の危険性を、なぜ認めなかったのか」。早川は、40年近く前から原告として関わった訴訟を思い起こす。
 昭和49年4月、国は楢葉町と富岡町にまたがる東京電力福島第二原発1号炉の設置を許可した。寺から数キロの場所だった。
 翌年1月、浜通りの住民404人は設置許可の取り消しを求める訴えを起こした。「福島原発訴訟」と呼ばれ、早川は原告団の事務局長を務めた。
 原告団は当初、県が福島第二原発の建設に伴う公有水面の埋め立てを許可したことに対して、県を相手取り、埋め立て免許の取り消しを求めて提訴していた。53年6月、福島地裁は訴えを退けた。
 「福島原発訴訟」は59年7月、一審の福島地裁で原告の請求が棄却された。早川らは仙台高裁、最高裁まで訴えを続けた。平成4年10月、最高裁は上告を棄却した。「国の手続き、判断に不合理な点はない」との結論だった。
 司法の最終判断から20年近くが過ぎようとしたとき、福島第一原発事故が起きた。避難、放射線、失われた絆...。早川は悔しさをにじませる。
 原発に疑問を抱く住民は、原子力政策の危うさや、安全対策の不備を訴えた。その不安は福島第一原発事故で現実となった。事故の大きさと、被害の広がりは、国や電力会社の想定をはるかに超えた。住民が発した異議の軌跡を追い、原発に象徴される国策と科学技術、司法の関わりを探る。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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