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【国策への異議5】反原発のよりどころ 発言、動向監視される

東電福島第一原発事故を受け、浜通りで調査に取り組む安斎さん=平成23年4月

 昭和47年12月、日本学術会議は「第1回原子力問題シンポジウム-原子力発電の安全について-」を開いた。
 前年の46年3月に東京電力福島第一原発1号機が営業運転を開始していた。福島第二原発の公聴会が福島市で開かれる1年近く前だった。
 立命館大名誉教授の安斎育郎(72)はシンポジウムの問題提起者として「6項目の点検基準」を明らかにした。
 「経済優先がまかり通っていないか」「民主的な地域開発計画を尊重しているか」「労働者および地域住民の安全が実証科学的に保障されているか」...。こうした基準は全国各地で行われた原発の反対運動で、大きなよりどころとされた。
 安斎は「このころから政府の原子力政策に対する批判を、公の場で繰り返すようになったため『反国家的』とみなされるようになった」と述懐する。福島第二原発の建設に疑問を抱く楢葉、富岡各町の住民は公聴会などに備え、安斎に協力を求めた。

■万年助手
 安斎は17年にわたって東京大助手を務め、報道機関などから"万年助手"と呼ばれていた。
 昭和40年代後半から、安斎は大学での教育業務から外された。周辺には「安斎とは口をきくな」との指示が出され、教授の許可なく研究を発表することはできなかった。自らの見解が掲載された記事を見た主任教授からは「ののしられたこともあった」という。
 安斎によると、電力会社は"安斎番"と呼ばれる社員を配置していた。その社員は、安斎が講演をする度に会場で録音した。新潟県で講演した時には、話した内容が翌日には主任教授に伝わっていた。安斎は「そのうち、各会場で『あ、またいるな』と顔なじみになった」と回想する。

■留学の勧め
 安斎が所属した大学の研究室の隣にあった別の研究室には、電力会社の社員が研究者として出向していた。「その研究者が異動で大学を去る際、『あなたを監視するためでした』と告白された」と思い出す。
 昭和50年代前半、放射線防護学などをテーマにした学会の理事会が終わった後だった。「安斎君、帰りに一杯どうだい」。同じ理事だった電力会社の幹部から誘われた。都内の飲食店で幹部が語り掛けた。「アメリカに留学したらどうだ」
 「目障りだったから、追い出したかったんでしょう」。安斎は電力側の意図を推測する。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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