東日本大震災

「あなたを忘れない」アーカイブ

  • Check

「何とかなる」口癖 前向きな性格、家族励ます

■相馬市椎木 鹿又雄哉さん 19
 雄哉さんは温厚で誰とでも仲良くなり、学校やアルバイト先でも慕われた。相馬東高1年の時に携帯電話に興味を持ち、自分で調べたり店を回ったりして知識を蓄えた。家族や友人が「雄哉に聞けば分かる」と言うほど、機種や操作、料金プランまで詳しく知っていた。
 将来は携帯電話の部品を作る会社に入ろうと、平成22年春、南相馬市の県立テクノアカデミー浜に入学した。23年2月に父浩次さん(43)を交えた担任教師との面談を終え、就職活動を始めようとしていた。
 同年3月11日の震災当日、授業が早めに終わり、友人と南相馬市内の電器量販店に出掛けていた時、地震が起きた。雄哉さんは夕方から相馬市でアルバイトの予定が入っていた。6号国道が通行止めになったのを知り、友人に「海側の道路を通る」と言って自分の車で相馬市に向かった。
 夜になっても雄哉さんは自宅に戻らなかった。浩次さんと母ますみさん(43)が携帯電話に何度かけてもつながらなかった。「朝、『行ってきます』と元気に家を出たのに」。時間がたつにつれ不安は大きくなった。家族は避難所や遺体安置所を回った。津波の水が引いた4月上旬からは海側の道路沿いを捜した。地震から1カ月が過ぎた4月16日、浩次さんは南相馬市鹿島区烏崎の県道から約2キロ西側で雄哉さんの車を発見した。雄哉さんは運転席で見つかった。
 3人兄弟の長男だった雄哉さんは、浩次さんと自宅を建て直す計画を立てていた。「自分で働いて家を建てる」と言った雄哉さんを浩次さんは頼もしく感じた。「1人では無理だろうから2人で協力して建てようと希望を膨らませていたのだが...」と肩を落とす。
 雄哉さんの弟の遼さん(18)は兄と同じ道を選んだ。今春、テクノアカデミー浜に進む。工業系の会社への就職を目指している。
 雄哉さんは自分が苦しい時や周囲が悩んでいる時、「何とかなんじゃね」と言うのが口癖だった。浩次さんは、雄哉さんのネクタイ姿の写真を見詰める。就職活動の履歴書用に撮影した写真だ。「雄哉がいないショックは大きいが、口癖を思い出すと背中を押されているような気持ちになる。雄哉の分まで生きなくては」。11日、家族は三回忌の法要を行う。

カテゴリー:あなたを忘れない

「あなたを忘れない」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧