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【国策への異議13】変わり果てたわが家 長引く避難、焦り募る

 福島原発訴訟で原告団長を務めた小野田三蔵(75)の自宅は富岡町内にある。東京電力福島第一原発と福島第二原発から、それぞれ約7キロの場所だ。
 福島第一原発事故で警戒区域に指定され、住むことも、立ち入ることも制限されている。近く予定されている区域の見直しによっても、帰還が困難な区域とされる可能性がある。
 昨年11月、避難先の新潟市から一時帰宅した。移動距離は、磐越自動車道と常磐自動車道を経由して約250キロに及んだ。
 帰るたびに変わり果てていく自宅を目にするのが、つらい。屋根が壊れ、雨漏りがひどい。畳は腐り、キノコが生えた。福島原発訴訟に関係する貴重な資料も水浸しになった。庭には野生化した豚か、イノシシとみられる動物がすみついている。「とにかくもう、家には住めない」
 町は昨年9月、「少なくとも今後5年間は帰還をしない」とする宣言を出した。小野田は「町に帰ることができたとしても、80歳を過ぎてしまう。今のうちに新天地を探すしかない」と考え始めている。
 新潟市から約95キロ離れている新潟県十日町市の病院には母ユウ(95)が入院し、病状が気に掛かる。小野田は先の見えない避難生活に焦りを募らせる。

■理系
 小野田は富岡町で生まれ、小学校2年の時に終戦を迎えた。新潟大農学部に進み、農業と理科の教員免許を取得した。理詰めで筋道を立てながら学ぶ理系の科目を好んだ。「訴訟も白か黒かはっきりするので性に合っていたのかもしれない」と語る。
 大学を卒業後、いわき市内の平商高の教諭となった。全国で公害が社会問題として取り上げられていた。同じく教師だった楢葉町の早川篤雄(73)ら県立高教組の仲間と公害問題に関心を持った。勉強をするうちに、生まれ故郷に立地する原発の危険性を感じ始め、福島原発訴訟の原点となる住民運動に関わるようになった。

■「まさか自分が」
 昭和48年9月、福島市内で福島第二原発の公聴会が2日間にわたって開かれた。小野田は初日、反対側の発言者の2番目に陳述し、国の原子力委員会の課題を取り上げた。「推進と規制の両方を兼ね備え、なれ合いで不健全な安全審査になる恐れがある。認可を前提として審査が行われている」と主張した。
 その後、提訴した福島原発訴訟は59年7月、一審の福島地裁で、原告の請求が棄却された。小野田は原告席で判決を聞いた。「このままでは、国内で原発事故がいつか、どこかで必ず起きるだろう」と感じた。
 一審判決から30年近くが過ぎた。「まさか自分がこんな目に遭うとは思っていなかった」。小野田は複雑な表情を浮かべる。(文中敬称略)

カテゴリー:3.11大震災・福島と原発

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