東日本大震災アーカイブ

遺族自責の念募る

妻の広美さんとの思い出が詰まった自宅前でたたずむ高橋さん=昨年11月11日、飯舘村

 「慌ただしい避難により家族の健康に目配りできなかった」
 「1日も早く墓石を作ってあげたい」
 生活環境が変化することに伴い、ストレスを抱えたり、体調を崩したりして命を落とす「原発事故関連死」。月日が流れても遺族の悲しみが薄れることはない。今も自責の念にかられる。

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 「もう2年。何も変わらない。むしろ逆に自分を責めるようになってきている」
 飯舘村から福島市に避難した自営業高橋清さん(58)。平成23年9月に妻広美さん=当時(48)=を亡くした。

 飯舘村は一昨年4月、計画的避難区域になった。既に原発周辺の市町村には警戒区域などが設定されていた。飯舘村は、その同心円の外側。放射線量が比較的高いことは分かっていたが、避難まで求められるとは考えてもいなかった。

 福島市への避難後、広美さんは会社から帰宅中に突然倒れ、帰らぬ人となった。「いまも後悔している。配慮が足りなかった」。避難による自宅や会社の引っ越し作業、避難生活の疲れ、ストレスが原因の一つだと診断された。

 広美さんの死から1年半がたった。清さんは大切な家族の健康を気遣うことのできなかった自分のふがいなさを感じ、涙を流すことがある。「女房は我慢して我慢して...」
 それでも、前に進まないといけないとの思いで避難生活を送っている。清さんと広美さんには3人の子どもがいる。末っ子の次女は中学生だ。「子どもがいるからやんなきゃいけない。それしかないんだ」。癒えない心の傷で立ち止まってしまいそうになるが、気力を振り絞っている。

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 「おやじ、ごめんな」。浪江町から二本松市の仮設住宅に避難している末永一郎さん(56)は平成24年7月に父の勇男さん=当時(79)=を亡くした。

 勇男さんは避難生活の中、心筋梗塞や肺がんを患ったが手術や放射線治療などで一命を取り留めた。それでも自宅を離れて1年を迎えたころ、肺に穴が開く肺気胸を発症。一郎さんは勇男さんの死をみとることもできなかった。

 一郎さんは浪江町で石材業を営んでいた。「石屋だから仏事に関しては分かっているつもり。百か日や1年で納骨できないことが残念」。一郎さんの住んでいた加倉地区は避難区域再編で4月1日から居住制限区域になる。父親を先祖代々の墓に眠らせてあげたいが、放射線量が高いため、納骨することにためらいがある。遺骨はいまも浪江町の長安寺に置かれたままだ。

 震災と原発事故から2年がたつが、状況に進展がほとんどないことに憤りを感じる。父親のために新しい墓を作ってあげたいが、その願いもいつかなうか分からない。「原発事故後の生活を思うと、人間の尊厳を踏みにじられている気持ちになる」

カテゴリー:震災から2年