東日本大震災アーカイブ

(11)102歳の母「診察拒否」 被ばくを疑った医師

ハツミさんが救急搬送された都内の総合病院。医師は診察を拒否した

 東京電力福島第一原発事故で施設からの避難を強いられたお年寄りは、県内外の病院や施設などで次々に命を落としていった。1月までにその数は520人に及ぶ。避難先を転々とする中、体調を悪化させ死期を早めた。東京の病院で被ばくを疑われ、一時は診察を拒否された高齢者もいる。不条理な差別を受け、故郷の地を踏めないまま逝った。遺族の嘆きは深い。ついのすみかを追われた災害弱者の「原発事故関連死」を追う。
 病室の母は、体にたくさんの管を付けられ力なく呼吸するばかりだった。心肺停止で埼玉県行田市の総合病院に救急搬送されたと聞いて駆け付けた時、既に意識はなかった。
 「これでお別れになるのかな。双葉に帰れなくてごめんね」。東京都練馬区の篠美恵子さん(65)は、母・山本ハツミさんの手をそっと握った。
 翌日の平成23年11月3日。親族らが見舞った後、ハツミさんは静かに息を引き取った。急性循環不全。102歳だった。
 「100年も双葉で暮らしてきて最期が埼玉だとは。母も悔しかったと思う」。母のそばで過ごした7カ月は、あっという間だった。
 双葉町の高齢者施設「せんだん」に入所していたハツミさんが原発事故で郡山市の郡山養護学校に避難していると聞き、たまらず夫婦で3月17日夜に迎えに行った。
 22日午後9時すぎだった。ハツミさんが38.8度の熱を出した。郡山から都内の自宅に連れてきて、4日目だった。夫の常雄さん(66)に体温計を見せた。「ちょっとまずいな。衰弱している」
 食事も排せつも自立し、認知症もなかった母が明らかに弱っていた。
 到着した救急隊員はストレッチャーを手に搬送の準備に掛かった。「郡山でスクリーニングを受けた」と説明すると、隊員は動きを止め、顔を見合わせた。
 「検査結果を知る必要がある」と告げられ、施設側に確認した。「被ばくはしていない。具体的な数値は現場が混乱していて残っていない」。教えられた内容をそのまま隊員に伝えた。
 救急車は15分ほどで都内の総合病院の救急搬送入り口に滑り込んだ。迎えた男性医師は、上半身にプロテクターのようなものを身に着けていた。レントゲン撮影時に用いられる放射線防護用エプロンだった。救急隊が病院側に母が被ばくしている可能性を伝えたのだと思った。
 「被ばくしている人は診察したくない」
 医師から発せられた言葉は、診察の拒否だった。美恵子さんは事態をすぐには理解できなかった。
 「私にも家族がいる。被ばくしたら困る」
 美恵子さんは、全身から力が抜けていくのを感じていた。スクリーニングで母の体に放射性物質は付着していなかった。なぜ信じてくれないのか、なぜ差別されなければならないのか、母が何か悪いことでもしたのか-。空白の時間の後、ようやく言葉を絞り出した。
 「診てもらえないなら、福島に連れて帰るしかないわね」

カテゴリー:原発事故関連死