東日本大震災

「原発事故関連死」アーカイブ

  • Check

(16)廊下のベッドに母 過酷な移動、衰弱の末

益子さんの遺影に手を合わせる和子さん。老人ホームからは避難しないと思っていた

 東京電力福島第一原発に刻一刻と危機が迫っていた。小黒益子さん=当時(84)=を荷台に乗せた自衛隊のジープ型の車が双葉町の特別養護老人ホーム「せんだん」を出たのは12日午後3時ごろ。受け入れ先の福島市の福島高体育館に着いたのは午後11時半ごろだった。
 薄い毛布1枚にくるまった過酷な移動、避難所の寒さ、不十分な食事と水...。衰弱の末、益子さんが市内の病院で息を引き取ったのは避難から14日目の25日だった。
 併設のグループホームなどを含め「せんだん」の利用者88人の避難は5つのグループに分かれた。その4割を超す36人が1年半の間に亡くなった。福島高に着いた小黒さんらのグループは36人のうち22人が死亡している。
 双葉町に住んでいた益子さんの長女岩本和子さん(62)は当時、「寝たきりの人もいる。老人ホームは避難しないはず」と思っていた。和子さんの自宅から「せんだん」までは歩いて5分。迎えに行くこともできたが、一緒に避難するより「せんだん」で生活する方が母は安全だと考えた。しかし、国や町の判断は避難だった。
 和子さん自身は震災当日、津波の危険を避けて町内の高齢者施設「ヘルスケアーふたば」に避難。翌12日には原発事故のため川俣町に移動し、13日には和子さんの長女池田美智子さん(39)の夫の実家がある栃木県那須塩原市に向かった。
 益子さんが福島市の福島高体育館にいると知ったのは13日だった。和子さんは自分がいる那須塩原市内の老人福祉施設に呼びたいと思った。しかし衰弱と機能低下が進み、搬送のリスクが高いため断念せざるを得なかった。
 19日、「せんだん」の職員として益子さんと一緒にいた美智子さんから電話がかかってきた。電話口に出た母に「かずこ」と呼ばれた。認知症でうまく言葉が出なくなっていた母親がやっと絞り出した一言だった。
 22日深夜には病状悪化で入院の知らせが届いた。夫の清孝さん(65)の車に飛び乗り、地震の爪痕が残る東北自動車道をひたすら北上した。
 夜明け前に着いた益子さんの入院先は、病室に入りきれないベッドが廊下に並び、まるで野戦病院のようだった。廊下のベッドで見つけた母は目をギョロッと見開いて、手を握っても、声を掛けても反応はなかった。

カテゴリー:原発事故関連死

「原発事故関連死」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧