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(17)避難の母みとれず 心に残った自責の念

元気だったころの益子さんの写真を広げる和子さん。震災1カ月前には84歳の誕生日を祝っていた

 避難先の福島市で命を落とした母小黒益子さん=当時(84)=を、娘の岩本和子さん(62)はみとることができなかった。そんなに死期が差し迫っているとは想像していなかった。双葉町の自宅に必要なものを取りに戻り、避難先の栃木県那須塩原市に運んだ2日の間に容体は急変。脳梗塞だった。
 なんとか早く弔ってあげたかった。葬儀社からは「無料の震災枠があるが、いっぱいで1週間かかる」と言われた。「なんとかならないんですか」。担当者に掛け合うと、二本松市なら一般の枠で火葬できると分かった。25日の通夜は僧侶が間に合わず、代わりに親族がお経を唱えた。26日、二本松市で火葬した。
 益子さんが亡くなってから7カ月後、和子さんは郡山市であらためて告別式を行った。祭壇にはコチョウランなど益子さんが好きだった花を飾った。「みとることができなかった。見殺しにしたって思いが強くて...」。自責の念ゆえの最後の親孝行だった。
 益子さんは浪江町の自宅の畑で野菜を育てながら、昼間はパートに出掛け、働き者と評判だった。趣味は歌や踊り。特に二葉百合子の「岸壁の母」がお気に入りだった。
 70代で帯状疱疹(ほうしん)を2度患い、長期入院後、認知症と診断された。平成18年1月に夫が入院したため間もなく自身も双葉町の老人ホーム「せんだん」に入所することになった。
 入所後も誕生日には必ず家族が益子さんを囲んでお祝いをした。益子さんは2月15日生まれ。震災1カ月前の誕生日も和子さん家族が駆け付け、長寿を願った。「母方は長寿家系。原発事故がなければ、あと7、8年は生きられたはず」と和子さんは惜しむ。
 和子さん自身、避難生活の疲れなどから平成24年5月、くも膜下出血で倒れた。医者からは「生死は五分五分。生きられたとしても後遺症がある可能性が五分五分」と告げられたが、幸い45日で退院でき、後遺症もほとんど残らなかった。「母が(私の)身を守ってくれたのかな」と思っている。
 和子さんは現在も那須塩原市で避難生活を送る。益子さんの遺影の脇には、いつもきれいな花がある。「(原発の)安全神話を信じ切っていた。無知だったことが悔しい。もうこんな苦しみを味わう人間を出してはいけない」

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