東日本大震災アーカイブ

(19)母思いの夫が急死 65歳「心配重なった」

ノリさんが戻ることのなかった南相馬市鹿島区の自宅

 南相馬市の藤田八重子さん(58)、守さん=当時(65)=夫妻が避難先の山形市からたどり着いた白河市の白河厚生総合病院に、行方が分からなかった母藤田ノリさん=当時(90)=はいた。
 顔色は良く、受け答えもはっきりしていた。だが、タオル1枚も自分の持ち物はなかった。入院から1週間ほどたっていた。看護師からはノリさんが自衛隊に連れられてきたとだけ説明を受けた。病院も誰に連絡していいか分からなかった。
 行方が分からないノリさんのことを誰よりも心配していたのは母親思いの長男の守さんだった。病院でノリさんの元気そうな顔を見て、ようやく一安心して家族と共に南相馬市の自宅に戻った。経営する建設会社のことも心配だった。
 翌月の15日、守さんは近所の同じ檀家(だんか)の家を訪ね、その後、同市原町区の取引先の会社に向かった。しばらくして、会社の駐車場の車内でぐったりしているのが見つかり、原町区の病院に運ばれた。
 連絡を受けた八重子さんは糖尿病の守さんが低血糖になって運ばれたと思った。病院に到着すると、取引先の会社の関係者や先に着いた家族が下を向いて待っていた。
 「社長、ダメだって」
 今朝、一緒に朝食を取り、猫の背をなでていた夫に何の予兆もなかった。死因は心筋梗塞。65歳だった。
 心配は行方の分からない病床の母親の方だった。ところが、震災と原発事故の混乱のさなか、先に生涯を閉じたのは母親を捜し回っていた息子の方だった。
 守さんと八重子さんは知人の紹介で知り合い、昭和47年に結婚。2男2女に恵まれた。守さんは昭和50年ごろ型枠仕事を中心とする建設会社をつくり、八重子さんが経理などで支えた。
 家では無口だったが、外では明るく世話好きで、地域の人に広く愛された。地元の祭りの相馬野馬追に殊のほか思い入れが強く、息子と孫を出場させるため、馬を2頭飼っていた。仲間と野馬追の話をしながら酒を酌み交わすのが何よりの楽しみだった。
 「母親はどこだ。会社はどうなる。従業員は大丈夫か。放射能は-。心配がいっぱい重なった」。八重子さんは振り返る。葬儀も慌ただしい中だった。
 後日、守さんは南相馬市から震災関連死の認定を受けた。

カテゴリー:原発事故関連死