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第二部 安全の指標(4) 研究者の苦悩 通用しなかった「正論」

山下と高村が最初に県民に向き合った講演会=平成23年3月20日、いわき市平体育館

 いわき市の平体育館。平成23年3月20日、長崎大大学院医歯薬学総合研究科長の山下俊一(60)=現福島医大副学長=、同研究科教授の高村昇(44)は「県放射線健康リスク管理アドバイザー」として、初めて県民と向き合った。「原発事故の放射線健康リスク」のタイトルで開いた講演会だった。会場の雰囲気は2人の想像とは全く違っていた。
 避難所となっていたため、床に伏したままのお年寄り、子どもを抱えながら不安な目を向ける母親、何度も出入りする子ども...。先が見えない避難生活に対するいら立ちもあり、同席した市関係者への怒声が飛ぶ中、講演が始まった。2人は放射線に関する基礎知識、健康影響などについて説明した。空間放射線量の数値などから「健康に影響はない」と繰り返し、「いわきを起点に復興に立ち上がろう」とメッセージを送った。
 「放射線のリスクを軽く見過ぎている」。講演会では2人の考えに否定的な意見もあった。だが、山下は空間線量の計算から、発がんリスクが高まる被ばく線量100ミリシーベルトを超えることはないと確信していた。「住民には落ち着いて行動してもらうことが最も重要」と考え、あくまでも「心配ない」と口にし続けた。
 山下の思いとは裏腹に、安全を強調するほど批判が集まった。震災から1カ月がたった4月11日、政府の発表が決定的となった。この日、計画的避難区域の設定目安を「年間積算線量が20ミリシーベルトに達する恐れのある地域」と定めたからだ。19日には文部科学省が「20ミリシーベルト」から学校生活で注意すべき屋外の放射線量を「毎時3.8マイクロシーベルト以上」とする数字をはじき出した。
 国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告では、平常時の年間の被ばく限度は1ミリシーベルトとされていた。だが、福島第一原発事故のような緊急事態が起きた場合、被ばく限度を年間100ミリシーベルトから20ミリシーベルトの範囲でなるべく低くし、事故が収束した後の復旧時には年間20ミリシーベルトから徐々に平常時の被ばく限度に戻していくのが放射線防護の「目安」だった。
 原発事故の発生から1カ月しかたっておらず、事故収束には程遠い状況だったが、世論は政府の「20ミリシーベルト」を危険と安全を分ける「基準」と受け止めた。
 29日には学校の校庭利用をめぐり、当時、内閣官房参与だった小佐古敏荘が「年間20ミリシーベルトを子どもたちに求めることは受け入れがたい」として辞任した。政府の対応が揺らぐ中、山下の考え方で県民の放射線への不安を拭い去るのは難しくなっていった。
 5月5日に喜多方市の喜多方プラザ文化センターで開かれた講演会。一部の出席者から山下に罵声(ばせい)が飛んだ。「地獄に落ちろ」「帰れ」...。容赦のない言葉が降り注いだ。話をするどころではなかった。県民健康管理調査などの業務もあり、5月を最後に県からの講演依頼はなくなった。
 6月には一部の民間団体が山下のアドバイザー解任を求める運動にまで発展した。「安全か危険かに分けられ、正論を言っても、たたかれるようになった」
(文中敬称略)

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