東日本大震災

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稲作農家切り盛り 旅先での笑顔忘れられず

■浪江町両竹 安斉正子さん(65)
 今年も田植えの季節になった。稲作農家にとって最も忙しい時期だ。正子さんの夫の芳治さん(70)は、緑色の苗が並んだ水田で汗を拭う妻の姿を思い浮かべた。正子さんは平成23年3月11日、東日本大震災による津波にのまれた。
 正子さんは浪江高を卒業し、19歳だった昭和40年に知人を通じて芳治さんと結婚した。正子さんは浪江町の工場に勤める傍ら、芳治さんの父・光重さん、母・スズイさんが営む農業を手伝った。当時、農作業はまだ機械化が進んでいなかった。田植えは手作業の家が多く、一部で農耕馬も使われていた。毎日泥だらけになった。農家の厳しさや喜びは家族で分かち合った。タクシーや長距離トラックの運転手などをしていた芳治さんも跡取りとして農作業に精を出した。
 結婚から3年目の夏、初めての子どもを授かった。正子さんは身重になっても田んぼに入り、家業を支えた。一男二女をもうけた。
 震災当日、正子さんは地域の民生委員として浪江東中の卒業式に出席し、帰宅した。芳治さんは農機具を求め、早朝から農家仲間と郡山市で開かれていた展示会に出掛けていた。車で帰宅途中、大きな揺れを感じた。あちこちで住宅の瓦が落ちた。これまでの地震とは違うと感じ、車を止めて自宅に電話した。
 「家中が、めちゃめちゃになった」。泣き叫ぶ正子さんの声が携帯電話に響いた。その後はつながらなかった。仲間の運転で自宅近くまで戻った。200メートルは離れていたはずの海岸線は一変していた。一面が黒っぽい海に覆われていた。
 震災から6日後、正子さんは自宅から200メートルほど離れた場所で発見された。鑑定で正式に確認されたのは3カ月後だった。芳治さんは繰り返し自問する。電話で話した時、津波が来るかもしれないから逃げろ、何を置いても逃げろ、とどうして言えなかったのか-。
 約10年前、青森県の温泉に出掛けた旅行を思い出す。数少ない2人きりでの遠出だった。水入らずで語り合った。正子さんが見せた穏やかな笑みが今もまぶたに焼き付いている。

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