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再編1年"古里"で復活 「歴史ある拠点」「必ず帰る」 労使一丸意志貫く あす取引先招き式典

地域の期待を背に事業を再開したタニコー福島小高工場。正面に社旗がたなびく

■業務用厨房機器製造 タニコー福島小高工場     
 多くの企業が撤退した東京電力福島第一原発から20キロ圏内の旧警戒区域で、区域再編から1年で事業を再開した工場がある。業務用厨房(ちゅうぼう)機器大手のタニコー(本社・東京、谷口秀一社長)の、南相馬市小高区にある福島小高工場だ。大きな被害を受けた設備を一新、他工場に避難させていた従業員を呼び戻して先月16日、生産を再開した。再スタートの原動力は「古里に必ず帰る」「歴史ある社の製造拠点を途絶えさせない」という労使の強い意志だった。
▼「雇用を守る」
 同社は昭和46年に当時の原町市の誘致で原町工場を開設、鹿島工場も設け、同62年には小高工場を造った。県内には浜通りに5工場があり同社の一大生産拠点だった。
 小高工場では地震で完成品が倒壊、材料も崩れ落ち、外壁のガラスが割れた。エレベーターは崩壊、駐車場の一角も崩れた。さらに原発事故による混乱。周辺企業では撤退、廃業、解雇などのうわさが飛び交い、従業員にも動揺が広がった。しかし、約1週間後に現地入りした谷口社長は「全員の雇用を守る。だから頑張れ」と号令を掛けた。
 当時から県内で指揮を執る中野光太郎取締役製造部長(62)は振り返る。「『会社から放り出されることはない』と、社員の気持ちは落ち着いた。頑張ろうという気持ちになれたのではないか」
 県内の他工場も含め女性を中心に約40人が退職したが、会社都合の解雇はゼロだった。小高工場から県内の他工場に人員を振り分けるとともに、約50人を福井県大野市の関連工場へ、約20人を北海道岩見沢市の工場に異動した。
▼新しい社旗
 震災は、1つの工場で決まった製品しか作れないという同社の弱点も示した。生産ラインを他工場に移設し、技術者も異動して繁忙期の受注に対応した。
 こうした柔軟な対応はリスク分散、多品目製造、生産性向上という、震災後の「新生タニコー」の経営方針の基礎になった。小高工場は電熱機器が主要製造品だった元の姿ではなく、「新生タニコー」の中核に生まれ変わることが求められた。
 大型給食設備や医薬品洗浄など新事業対応のラインを備えるとともに、全国の工場にステンレス材を供給する拠点の役割が設定された。ふくしま産業復興企業立地補助金を受け、10億円を投資して設備を一新するプランが立てられた。
 警戒区域が解除された昨年4月16日、小高工場のポールに社旗が揚げられた。6号国道から旗を見つけ、工場の敷地に入ってくる人もいた。「日本人は旗に敏感。『本当にやるの?』と聞かれ『やるんです』って答えました」と中野さんは笑う。「タニコーさんがやるなら、俺も頑張らねば」と語る小高の事業者もいた。
 工場再開は解除からちょうど1年後に設定した。その日から新しい社旗と国旗、安全旗を掲げている。
▼南相馬に"根っこ"
 関連企業も含め220人だった工場の人員は現在約150人。希望を聞いて移転先から呼び戻し、津波などで自宅を失った人には借家や仮設住宅を紹介した。人材確保のため今春は市内の工場向けに大学生3人、高校生6人を採用した。
 中野さんは2年前を振り返り「他の会社なら別の工場に生産を移すという選択もあったかもしれない。しかし当社は南相馬市に深い"根っこ"がある。撤退はあり得なかった」と感じている。小高工場の再開が、小高という地域の復興にもつながるとも信じている。
 29日は同工場で取引先や関係者を招いた復興記念式典を行う。「2年前はこんな日を迎えられると思っていなかった。また頑張れば2年後、新たな姿が見えるのではないか」と語る。

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