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おしどり夫婦の父母 厳格な祖父、おおらかな祖母

■相馬市磯部 馬場仁さん(62)節子さん(63)守さん(85)マサイさん(85)

 仁さんと節子さん夫婦、同居していた仁さんの父母の守さん、マサイさん夫婦は相馬市の自宅で津波に流されたとみられている。仁さんの長男の孝幸さん(32)は父母、祖父母を懐かしむ。
 仁さんは相馬地方広域消防本部の消防士だった。震災の1年前となる平成22年3月に相馬消防署副署長で定年退職した。
 部下の命を守る責任感が人一倍強かった。常に危険と隣り合わせで、若手に熱心に技術指導をしていた。快活で、周囲からの信頼が厚く友人が多かった。家族には笑顔を絶やさなかった。
 節子さんは製造業の会社に勤めた後、宮城県内の病院などで介護ヘルパーを勤め、5年に退職した。その後は手芸教室に通い、女の子向けの人形作りを楽しんでいた。明るい性格だった。孝幸さんの妻亜紀さん(32)は「何でも話ができる本当の親子のような関係だった」としのぶ。仁さんと節子さんはおしどり夫婦で知られ、毎年、仙台市からフェリーに乗り、伊勢神宮に参詣していた。
 守さんは厳格な人柄で、コメと梨を作り、ホッキ貝の漁にいそしんだ。同じ年齢の妻のマサイさんはおおらかな性格で、自分で作った野菜を食卓に出し、家族がおいしそうに食べる姿に目を細めていた。
 仁さんらは、孝幸さんの長男の奏多(かなた)ちゃん(3つ)をかわいがった。初孫で、ひ孫だった。震災当時、奏多ちゃんは生後11カ月。仁さんらは歩き始める日を心待ちにしていた。
 震災当日は仁さんと守さん、マサイさんが自宅にいた。節子さんは相馬市内で買い物中で、近所の人が見掛けている。市内の機械製造会社で働いていた孝幸さんは、津波警報に伴い会社から屋内退避の指示が出たため、社外に出られなかった。夕方になって自宅に戻ると、家は流され、周辺はがれきに覆われていた。避難所を回って両親と祖父母の姿を探した。震災発生から4日後、孝幸さんは安置所となっていた旧相馬女高で仁さんと節子さん、マサイさんを確認した。守さんはその2日後に見つかった。
 奏多ちゃんと亜紀さんは震災時、亜紀さんの仙台市の実家にいた。孝幸さんの姉の友紀恵さん(38)も一緒にいて無事だった。孝幸さんは「残った4人で強く生きたい」と亡き仁さんらに誓っている。

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