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(29) 命の重さ 弔慰金 苦悩する遺族 不手際にも謝罪なし 町の対応に不信感募る

借り上げ住宅の窓から外の風景を見詰める渡辺さん。山木屋に帰れず、苦しい避難生活が続く

 川俣町山木屋から福島市に避難している無職渡辺彦巳(ひこみ)さん(60)は今年4月中旬、母親の看病を続けていた。9カ月ほど前、町内の介護福祉施設から同市の高齢者マンションに転居した母マチさん=当時(86)=は体調を崩し、市内の病院に入院した。
 4月下旬のある日、1本の電話が入った。「町役場に来てもらえませんか」。町保健センターに入ると近づいてきた町の担当職員が突然、書類を手渡した。「2年前、弔慰金の相談に来たよね。これを出してください」
 東京電力福島第一原発事故に伴う災害弔慰金の申し出書。表紙にはそう記されていた。
 平成23年4月、父義亥(よしい)さん=当時(87)=は避難先の埼玉県草加市で体調を崩し、連れ帰った自宅で息を引き取った。死体検案書の死因の欄は「急性心筋梗塞」と書かれた。原発事故で避難したことが要因と考え、同年7月に町に災害関連死の認定の相談に行った。だが、地震や津波などによる直接死以外は対象にならないと言われた。
 災害関連死について県は同年5月12日付で原発事故に伴う避難に起因するケースも含めるよう市町村に通知していた。通知文書が職員間で周知されず、適切な対応を取れなかったという。当時の町職員の対応がよみがえった。
 「門前払い」から2年。申し出書を手にする町職員から不手際に対する謝罪の言葉はない。「避難を強いられた住民の立場に立っているとは思えない」。町の対応に不信感を募らせた。
 病床の母には回復の兆しが見られなかった。彦巳さんは1月末で定年退職し、仕事を探していた。幸い、時間の融通がある程度、利いた。毎日のように入院先を見舞うことができた。
 病室で眠る母親を見詰めていると、ふと思う。「できることなら古里に帰りたい」。山木屋に住むのを誰よりも望んだマチさんは今年4月下旬に山木屋の土を踏むことなく他界した。
 災害弔慰金の申し出書には死に至るまでの経緯や症状を詳しく書き込む必要があった。両親を失った悲しみの経過を再び、たどらなければならなかった。
 「戦後から頑張って山木屋で生きてきたのにな。人生の最期に原発事故と避難では、かなわないよな」。避難先の福島市のマンションで、義亥さんとマチさんの遺影に語り掛け、こう言葉をつないだ。「原発事故のせいだって、必ず、必ず認めてもらうから」
 気持ちの整理をつけ、1日がかりで義亥さんとマチさんの申し出書を書き上げた。「原発事故による避難で、両親が無念の死を遂げたと町に認めてほしい」。5月17日、町に申し出書を提出した。受け取った職員は「分かりました」とだけ言った。
 災害弔慰金の受け付けを2年過ぎて始めたことも、どんな手続きで審査されるかも、説明は一切なかった。

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