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今を生きる 亡祖父に感謝の力走を 津波で犠牲悲しみ越え きょう古里初レース

仁三郎さん宅前で活躍を誓う猪狩さん

■「競輪」念願のプロデビュー いわき・四倉出身 猪狩雄太さん(23)

 いわき市四倉町の猪狩雄太さん(23)は7月に競輪選手として念願のプロデビューを果たし、18日、初めて古里でのレースに臨む。早世した父に代わり世話をしてくれた祖父の漁師大河原仁三郎さん=当時(75)=を東日本大震災の津波で失った。「応援してくれた天国のじいちゃんに、いいところを見せたい」。祖父に感謝の気持ちを込め、いわき平競輪場を駆け抜ける。
 猪狩さんは中学から柔道を始め、好間高2年の時に県高校新人大会の60キロ級で3位入賞するなど活躍した。同じころ初めて平競輪場で競輪を見て、選手がトラックを猛スピードで走る姿に心を奪われた。高校卒業後は競輪の道を目指すことに決めた。
 プロになるために静岡県伊豆市にある日本競輪学校への進学を志した。しかし、入学試験の倍率は10倍以上の狭き門。体力には自信があったが、自転車の競技経験がない猪狩さんにとっては難関だった。平成21年と22年の試験は不合格。それでも仁三郎さんはいつも「頑張れ」と応援してくれた。「走る姿を早くじいちゃんに見せたい」。猪狩さんは日本競輪選手会福島支部に登録し、現役選手の下で練習に励んでいた。
 震災があった23年3月11日。猪狩さんは、いわき市平の病院にいた。自宅に戻った後、すぐに近くの仁三郎さんの家に行ったが仁三郎さんの姿はなかった。その夜、捜していた猪狩さんの家族が四倉港近くで仁三郎さんと兄の喜平さん=当時(84)=が倒れているのを見つけた。2人は漁船を津波から守るため、ロープで固定している最中に津波にのまれたとみられている。
 猪狩さんは1歳のころ、父寛文さん=当時(28)=を急性心不全で失った。父の記憶はほとんどない。仁三郎さんがいつもそばにいてくれたため寂しい思いをしたことはなかった。70歳を超えても漁を続け、何事にも一生懸命に取り組む仁三郎さんを猪狩さんは尊敬していた。
 競輪選手になりたいと相談した時も仁三郎さんは2つ返事で「やりたいことをやれ」と背中を押してくれた。猪狩さんは祖父を突然失った悲しみを打ち消すように一層、練習に励んだ。23年の秋に3度目の挑戦で競輪学校に合格。プロを目指して取り組んできた。
 デビューした7月から5レースを走り、最高成績は今月8日の平塚F2でのA級チャレンジ選抜の6着。18日から20日までいわき平競輪場で開かれるサテライト大和カップでは、これまで経験のない最終日の決勝進出を狙う。家族や親族が応援に駆け付ける。
 「地元でのレースは特別な思いがある。自分の持っている力を出し切る」。猪狩さんは天国の祖父の元に吉報を届けたい―とレースに挑む。

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