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今を生きる 富岡町社協「語り部」事業始動 避難の思い伝えたい 牛との別れ、夫入院...

郡山市の仮設住宅で牛の登録書を眺め、伝えたい避難体験をまとめる遠藤さん

■郡山の仮設住宅で生活 遠藤友子さん(67)

 東京電力福島第一原発事故で避難している住民の思いを伝えたい-。富岡町社協の「語り部」事業が今月、本格的に始まる。町民が避難区域再編後の町の現状を学び、県外からの視察団に体験と町の実態を「生の声」で伝える。原発事故の避難町村で組織的な事業展開は初めて。郡山市の仮設住宅に住む遠藤友子さん(67)は避難によって繁殖牛を失い、夫の輝雄さん(78)は体調を崩した。事故の風化が進む中、現状を知ってもらうことが町の復興につながると信じている。
 遠藤さんは、郡山市の仮設住宅でこれまでの避難生活を思い出し、伝えたい体験を頭に描いている。
 原発事故後の平成23年3月16日。富岡町からの避難先だった川内村が全村避難になった。富岡町に一度戻って11頭の牛にたっぷりと飼料を与え、車で郡山市のビッグパレットふくしまに向かった。4月に戻ると、母牛2頭が牛舎で横たわり息絶えていた。生きていた別の母牛は、残った子牛に乳を与えていた。近づくと、悲しそうな目で何かを訴えているように見えた。「どれだけつらかったことか」。家族同然だった。生きてもらうために逃がした。しかし、最終的に全頭が殺処分となった。
 輝雄さんは慣れない避難所や仮設住宅での暮らしで体が弱った。同年12月に脳内出血で入院し、その後介護施設に移った。現在、遠藤さんは一人暮らし。原発事故から間もなく2年半となり、忘れ去られることに不安を感じていた。「農家にしか分からない悲惨な体験を伝えたい」。町社協が「語り部」の育成を始めることを聞き、迷わず参加した。
 8月8日に初めての現地研修が富岡町であった。バスで1時間半ほど町内を巡り、古里の現状を広めたいとの思いは、より強くなった。津波を受けたJR富岡駅、桜の名所で知られる夜の森地区を抜け、最後に自宅前を通った。わが家は屋根の瓦も崩れておらず、外観は震災前のままだった。お盆に家族で過ごした、にぎやかな風景を思い出した。
 これまでにも県外からの来訪者に思いを語ったことはある。仮設住宅の自宅に招き、暮らしを紹介した。親身に聞いてくれ、最後はふと、感謝の言葉が出た。「全国からの支援に対するお礼も伝えたい」。気持ちは高まっている。

18人研修重ねる 
 富岡町社協の「語り部」事業には50~70代の町民18人が参加し研修を重ねている。第1弾として早ければ今月7日に、静岡県の自主防災団体を郡山市のおだがいさまセンターで受け入れる。事業の事務局を務める元富岡高校長の青木淑子さん(65)=郡山市=は「原発事故による被害を客観的に把握し、一人一人が思いを伝えていきたい」と話す。住民が来訪者らに体験談などを語る際、写真や映像を交えた資料も使う予定。
 県内で被災地ツアーを企画する「ふくしま観光復興支援センター」によると、原発事故による避難町村で組織的に「語り部」を育成する動きは初めてで、いわき市や南相馬市などでも津波による被災などを伝える事業に取り組んでいる。

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