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(49)ストレス 仮住まい 慣れない環境 入居後も体調戻らず 東の空に「古里」を思う

進さんの遺影の周りには、スナップ写真がにぎやかに並ぶ

 富岡町から郡山市南一丁目の仮設住宅に避難している無職関根富子さん(66)は夫の進さん=当時(72)=の遺影を見て、ある言葉を思い出した。「おい、とみ(富子さん)。俺が死んだときの写真を撮ってくれないか」。急性脳梗塞で倒れる平成23年12月の1カ月ほど前、突然切り出してきた。自らの死期を悟ったかのような口ぶりだった。
 居間の壁を背に、撮影した1枚を見た進さんは「何だか、さえねぇ顔だな」とつぶやいた。普段と違う自分が映っていた。くすんだ顔色に違和感があった。遺影には長女の結婚式で撮った10年前の写真が使われた。

 「避難所の生活は張り合いがなかった。体調が優れないんだ」。仮設住宅に移って5カ月ほど経過した23年11月、進さんは体力を回復させようとサイクリングを続けていた。
 東京電力福島第一原発事故の発生以降、進さんが一時帰宅したのは1度きりだった。自宅はJR夜ノ森駅のすぐ西側にある。広々とした居間で、のんびり過ごすのが好きだった。「山を何個越えたら、家に着くかな」。時折、自宅がある方角の東の空を眺め、寂しそうにつぶやいていた。
 望郷の念は日に日に増した。「古里と仮設住宅暮らしは違いが大きすぎる。ストレスがたまり、体が弱ってしまったのではないか」。富子さんは当時の夫の気持ちを推し量る。
 12月6日は冷たい風が強く吹いていた。昼ごろ、進さんはいわき市のおいに手紙を出すため外出し、帰り道で仮設住宅脇のスロープの手すりに倒れかかった。顔をぶつけた衝撃で右目の辺りが青黒く腫れ、歯は抜け落ちた。郡山市の病院に救急搬送された。入院当日、問い掛けにかすかに応じ、手を握り返す力もあった。しかし、次の日から意識がなくなった。 それから約5カ月が経過した24年5月。いつものように看病を終え、富子さんは仮設住宅に向かっていた。携帯電話に病院から連絡が入った。「すぐに来てください」。病院へと急いで戻ったが、既に息を引き取っていた。「あれほど古里に帰りたがっていたのに...」。長年連れ添った夫の思いを考えると悔しくて仕方がなかった。

 進さんの仏壇の周りには、写真がにぎやかに並ぶ。富子さんと両足が不自由な長男の進一郎さん(43)が、この1年半ほどの楽しかった思い出を収めたスナップばかりだ。仮設住宅の暮らしは自宅に比べれば、手狭で不便だ。
 しかし、2人にとって仮設住宅の仲間らとの触れ合いが支えになっている。つらい避難生活の中でも前を向かせてくれる。
 事故が起きた福島第一原発は、汚染水漏れなど問題が次々に発生し、心の中には不安が渦巻く。「元の暮らしを取り戻すことはできるのだろうか」
 同じ仮設住宅では望郷の念を抱きながら、年老いていく人がいる。最近、敷地内で救急車のサイレンが毎日のように聞こえる-。「こんな避難生活が長引けば、体調を崩す人は増えるばかりだ」。富子さんは感じている。

カテゴリー:原発事故関連死

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