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(50)ストレス 仮住まい 慣れない環境 友いない生活に嫌気 仮設に移り、少しは安心

二間ある仮設住宅に住み替え、運び込んだ介護用ベッド。7カ所目の避難所で初めて寝室ができた

 「借り上げ住宅での1人暮らしはつらかったね。1日中、誰ともしゃべらないでテレビ見てたんだ」
 大熊町の無職渡部英雄さん(71)は平成23年7月から5カ月間、会津若松市のマンションを借り上げて住んだ。しかし、近くに友達もいない生活に嫌気が差した。
 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故に伴う県内の仮設住宅約1万7000戸のほとんどが完成から2年を超えた。窓枠や天井に隙間ができたり、床がきしんだりと劣化が進む。一方で、2年近く暮らすと、仮住まいにもかかわらず愛着に似た感情が生まれる。高い放射線量の古里に帰還できる見通しは不透明なままだ。ならば、せめて仲間や親類の顔が見える仮設住宅の方がまし-。そう考える1人暮らしの高齢者は少なくない。

 渡部さんがマンションから同市一箕町の長原仮設住宅に移ったのは23年12月26日。大雪の日だった。1人暮らしの渡部さんに提供されたのは4畳半一間。腰のヘルニアを患っているため折りたたみ式のベッドを持ち込んだ。テーブルとテレビを置くと、座る所は限られた。
 約8畳一間の借り上げマンションに比べれば、手狭になり息苦しかった。来客があっても、おいそれと部屋に招き入れることもできない。それでも「近くに大熊の仲間がたくさんいると思うと妙に安心したんだ」と目尻を下げる。
 4畳半の暮らしにも慣れた24年9月、仮設住宅の近くで転倒した。18年前に手術し、腰に入れていたボルトが折れた。市内の病院に搬送され、全身麻酔でボルトを入れ直す大手術になった。退院できたのは約2カ月後だった。
 退院直後は以前のように歩くことがままならず、寝起きがつらかった。リクライニング式の介護用ベッドが必要で、4畳半一間で暮らすのは難しかった。
 長原仮設住宅自治会長の斎藤重征さん(69)に「ベッドを置きたいので広い所に引っ越せないだろうか」と相談すると、すぐに町に掛け合ってくれた。
 通勤や通学の都合で引っ越す家族が相次ぎ、空きが出ていた。偶然にも姉家族の隣が空いていた。24年11月、4畳半二間の仮設住宅に住み替えた。「姉も自分も年寄りだから何かと安心できた」。介護用ベッドも置けた。7カ所目の避難先で初めての寝室だった。

 渡部さんの自宅は帰還困難区域にある。1度だけ一時帰宅で家の中に入ったが、カビやキノコが生え、ネズミのふんだらけだった。「可能ならば災害公営住宅に入居したい」。だが、いつ入居できるか分からない。また引っ越ししなければならない。新たな人間関係を築けるだろうか。腰痛やぜんそくの持病があり、かかりつけの病院が変わるのは避けたい。
 さまざまな不安が脳裏を駆け回り、今のままがいいと考えるようになった。「しばらくここにいるしかない。若松に骨をうずめることになって構わないと覚悟しているんだ」
 ただ、県内には仮設住宅で一定の安らぎを見つけられた人ばかりではない。

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