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(52)ストレス 仮住まい 神戸の教訓 「福島が最も深刻だ 認定基準現状と落差

震災関連死の問題への取り組みを続ける上田院長

 東京電力福島第一原発事故に伴う長期避難中に命を落とす「原発事故関連死」。避難住民は、さまざまな心労を抱え、古里から遠く離れた仮設住宅や借り上げ住宅で望郷の念を抱く。
 18年前の阪神大震災でも住まいが倒壊、焼失し、避難所や仮設住宅で多くの被災者が衰弱し命を落とした。「震災関連死」という言葉が生まれた。
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 平成7年1月17日午前5時46分。関西地方を突然、大きな揺れが襲った。マグニチュード7・3。兵庫県の淡路島北部を震源とする阪神大震災は都市部を直撃し、電気やガス、水道のライフラインをはじめ、道路、鉄道などの都市機能を奪った。死者6434人、全壊した家屋18万6千世帯。戦後最大規模の被害となった。
 揺れが収まると、神戸市長田区にある神戸協同病院の上田耕蔵院長(62)は自宅から車で病院に向かった。道路は渋滞。慌てて引き返し自転車に乗り換えた。大勢の負傷者が病院に次々と運び込まれてきた。「まさに野戦病院だった」。上田院長は振り返る。
 数日すると支援の医師や看護師が全国から入ってきた。上田院長は派遣されてきた医師や看護師の配置など病院全体の管理、運営の仕事に追われた。患者に接する機会は少なくなった。
 避難所は住まいを地震で奪われた住民であふれていた。取材を続けてきた新聞記者からの質問を今でも覚えている。「避難所暮らしなど震災後の生活環境の悪化で死亡に至った例もあるのではないか」
 病院に運び込まれた患者のカルテを引っ張り出した。業務の合間に一つ一つ目を通し、がく然とした。医療環境の悪化、避難による疲労、ストレス...。生活環境の変化により死亡したとみられる患者が大勢いた。関連死は震災後の混乱が少しずつ収まっても減らなかった。仮設住宅や災害公営住宅で命を落とす被災者が相次いだ。「過酷な避難生活を続けている被災者をどうすれば救えるのか」。避難に起因した死亡を「震災関連死」と名付け、研究を始めた。
 「災害弔慰金の支給等に関する法律」は当時、地震や津波などで命を落とす「直接死」だけを弔慰金支給の対象にしていた。上田院長の指摘以降、震災関連死は社会問題となる。行政が後に支給対象に避難後の被災者の死亡を認めるなど、制度の弾力的運用のきっかけとなった。

 23年3月11日に発生した東日本大震災を受け、上田院長はすぐに業務を他の医師に引き継ぎ、被災地支援のため東北地方に向かおうとした。しかし交通網は遮断され、仙台市に入れたのは8日後だった。阪神大震災と同じ惨状が広がっていた。
 それから4カ月後の7月、南相馬市、飯舘村の避難区域を歩く上田院長の姿があった。病院や特別養護老人ホームを訪ね、医師や施設長らから避難状況や医療環境の変化について話を聞いた。東京電力福島第一原発事故を受け、本県の高齢者や障害者は避難先を転々としていた。
 ガソリンが不足し、十分な物資も入ってこないばかりか、医師や看護師、ボランティアの人的支援も遅れていた。原発事故にほんろうされながら、患者の命を救おうと全力を挙げる医療関係者を前に、上田院長は確信した。「福島の被害が被災3県で最も深刻だ」

 厚生労働省は23年4月、市町村に対し県を通じ、震災関連死の認定については新潟県の中越地震などの認定基準を参考にするよう連絡した。震災から1週間以内の死亡は「震災関連死」、1カ月以内は「関連死の可能性が高い」、6カ月以内は「可能性が低い」、6カ月以上は「震災関連死ではない」。仮設住宅に入居することは、「(避難)生活の安定」とみなされ、その後の病気発症による死亡は認定されない。
 本県は不安定な福島第一原発の廃炉作業、進まない除染、先が見えない避難生活など、避難者の心を痛める状況が続いている。「震災関連死かどうかは、被災者である住民の気持ち次第。原発事故さえなければ、負担の大きな長距離避難をしなくてもよかったはず」。厚労省が示す基準は、本県の実情には必ずしも当てはまらない-と上田院長は指摘する。
 古里への帰還を待ち望む住民に、さまざまな不安が心労として蓄積するという。「期待と現実の落差が大きいから関連死が発生する。一人一人の避難住民の思いに寄り添うしかない」

カテゴリー:原発事故関連死

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