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(53)ストレス 仮住まい 神戸の教訓 生活環境改善に奔走 団体設立、全国から支援

被災者の命を守る活動を続ける黒田さん

 阪神大震災を受け、神戸市長田区にある神戸協同病院の上田耕蔵院長(62)が生んだ「震災関連死」の概念。連日のように新聞紙上をにぎわせる、その5文字を食い入るように見詰める人物がいた。
 神戸市から約20キロほど北東に離れた兵庫県宝塚市。市立病院看護師長(当時)の黒田裕子さんだ。自らも大震災で被災し、避難所生活を送っていた。
 「せっかく生き残った命。今しかできないことをしたい」。黒田さんは避難生活を続ける住民の命を救う活動に人生をささげることを誓う。病院を退職し、多くの被災者が暮らす神戸市内で最大規模の西神第7仮設住宅に向かった。

 西神第7仮設住宅では1060世帯に1800人の住民が生活していた。小規模な町村一つ分ぐらいの人口に匹敵する大規模仮設住宅だった。65歳以上の高齢者の割合は47・4%。ほぼ2人に1人だ。
 公園でうずくまったままの人たち―。自宅が倒壊し、失意の底に落とされた生活弱者の姿が目に飛び込んできた。「高齢者や障害者をまず救わなければ...」。黒田さんは行動を開始した。
 仮設住宅での問題点は挙げればきりがなかった。舗装されていない道で被災者が苦しそうな表情で車椅子の車輪を動かしていた。大雨が降れば敷地内は水浸しになり、住宅が流されてしまう懸念すらあった。黒田さんらは行政に働き掛け、仮設住宅の通路を人が通れる分だけアスファルトで舗装してもらった。全国からの支援で集まった土のうとブロック塀を活用し、雨水の浸入を食い止めた。
 「支援がまだ足りない。過酷な環境に身を置かなければならない人を救えない」。黒田さんは同じ志を持つ仲間の医師らとともに震災から約5カ月後の6月15日、40畳程度の広さがあるテントを仮設住宅敷地内に設置した。この場所を拠点に活動を本格的に開始する。
 活動の目標は3つだった。「孤独死を出さない」「寝たきりを出さない」「コミュニティーをつくる」。黒田さんは活動を進めるため「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」をつくり、理事長に就いた。今も被災者の支援活動を続けている。東日本大震災発生後は、本県や宮城県に足を運び、避難者らに寄り添う。

 神戸市には全国から多くのボランティアが集まった。1日で400人を超えることもあった。神奈川県からは高校生が2泊3日の日程で交通費、宿泊費を負担して駆け付けた。小学5、6年生が週末を利用してバスで来たこともあった。被災者を救おう、という熱意がテント内に満ちていた。
 黒田さんは「ボランティア活動で学んだことは必ず自分の地域でも役に立つ」と青少年のボランティアに言い聞かせた。
 「日本は災害列島。阪神大震災の教訓を全国に広げていかなければならない」。今も生活弱者を救う気持ちに変わりはない。
 黒田さんの取り組みが進む一方で、被災者には仮設住宅の老朽化や孤立などの問題が次々と降りかかってきた。

カテゴリー:原発事故関連死

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