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(55)ストレス 仮住まい 神戸の教訓 交流があつれき解消 「お茶会」今も憩いの場

災害公営住宅「市営新大池東住宅」で今も続けられているお茶会

 神戸市西区の西神第七仮設住宅から須磨区の災害公営住宅「市営新大池東住宅」に移った小山鉄男さん(73)は現在、市営住宅自治会長を務める。仮設住宅時代に「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」理事長の黒田裕子さんらと一緒に始めたお茶会は、住民の憩いの場として続いている。
 阪神大震災から4年半後、仮設住宅はなくなっていた。被災者は災害公営住宅などで新たな生活を始めた。仮設住宅に比べ、より安定した生活を手に入れたはずだった。

 黒田さんは災害公営住宅建設が進む中、心配が1つあった。公営住宅が整備される土地の住民と被災者は、うまく打ち解けられるだろうか。「市民は皆、被災者。きっと分かり合えるはず」。しかし、不安は的中する。
 高級住宅が立ち並ぶ西区にも複数の公営住宅が建設された。地域住民の被災者への反応は冷たかった。「学校に公営住宅の子どもが来たからうちの子の成績が落ちた。公営住宅の子と遊ぶな」。黒田さんは、こんな声を聞いた。地域のバス停を公営住宅の住民が利用するようになると、もともといた住民はバスの中で「私はこんな所で下車するのが嫌だ」と大声を出した。公営住宅の住民と思われるのが不愉快だったのだ。
 黒田さんは両者が交流できる場として、夏祭りなどを企画した。公営住宅の住民が地元住民から畑を借りる段取りを付けた。収穫した野菜は両者がイベントで料理した。次第にあつれきは消えたという。
 「被災者に寄り添うという気持ちが広がっていくのを感じた」と黒田さんは話す。

 東日本大震災が発生すると黒田さんはすぐに東北地方に向かった。平成23年3月11日に福井県まで入り、翌12日には山形県から本県に着いた。避難所には阪神大震災と同じ光景が広がっていた。「神戸の経験を伝えなければ」。4月ごろ、県内最大規模の避難所となった郡山市のビッグパレットふくしまで活動を開始した。
 富岡町や川内村の住民が約2300人生活していた。避難者の名簿を作ることを提案。誰がどこに寝ているか、どのような病気を抱えているかが一目で分かる避難者の「カルテ」となる。東京電力福島第一原発事故により、避難所は混乱を極めていた。全国から応援に駆け付けた医師やボランティアの力を借りて完成させた。
 黒田さんは今も宮城県気仙沼市の仮設住宅で見守り活動を続けている。「災害で助かった命を救う」。阪神大震災から間もなく19年。あの時の誓いを胸に今を生きている。
 長年のボランティア活動の体験から、黒田さんは被災者を取り巻くあらゆる「もの」を調整することの重要性を強調する。被災者と生活環境、被災者と避難先の住民、被災者同士...。「個々の事情を全体的に見ることのできる存在が最も大切」

カテゴリー:原発事故関連死

震災後に建設された市営新大池東住宅

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