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いら立ち(中) 骨箱で「永住」無念 帰還目標遠くに感じる

川房地区にある墓地。周囲では農地除染が始まっている=南相馬市小高区

■河北新報社 南相馬支局 大場隆由支局長 46

 福島第一原発事故の避難指示が続く南相馬市小高区川房地区の墓地。原発事故後に新たに名前が刻まれた墓誌がある。避難先で最期を迎えた人たちだ。骨になってようやく、まだ住めぬ古里への「永住」を果たした。無念だったと思う。
 避難先に散り散りとなった約300人の住民をつなごうと発行を続ける地域誌「川房通信」には、これまで11人の訃報が載った。発行人の中里範忠さん(76)=北海道富良野市に避難中=は「入院した人や認知症が進行した人もいる。自分も先は分からない。骨箱に入って帰ることになるかもしれない」と憂う。敵は東京電力や国だけではない。避難者は時間とも闘っている。
 市南西部に位置し、浪江町と接する川房地区を初めて訪れたのは、小高区への立ち入りが自由になった平成24年4月16日。当初は自宅に戻る住民の姿がよく見られた。次第にまばらになった。
 「何にも変わらない。片付かない自宅に来ても気がめいってしまう」「立ち入りを自由にするより先に除染すべきだ」。住民はいら立ちの声をぶつけた。
 昨年11月にようやく農地除染が始まり、地区内を行き交う車が多くなった。それでも、市が2年後の平成28年4月に設定する帰還目標が、ここでは遠くに感じられる。
 居住制限区域の川房地区は、小高区内でも空間放射線量が高い。15キロ先の福島第一原発はいまも不安定な状態。農業が主体の地域だっただけに、住民の多くが将来を描けない。中里さんも「2年後にすぐに戻れるのか。農業の再開も難しいのではないか」と早期の帰還完了に半信半疑だ。
 市内では津波被災地の集団移転が始まった。しかし、避難区域の小高区で住宅再建の動きは鈍い。避難区域を対象にした住民意向調査では、「帰還しない」が3割で「帰還する」を上回った。
 川房地区では年末年始の特例宿泊の希望者はいなかった。事故から3年近くたっても遅々として進まない復興に、よそに土地を求める人が出ている。「古里を捨てた」と思われるのを嫌うからか、住民間でも土地購入の話題にはあまり触れないようにしているという。
 現職の桜井勝延市長が再選された1月の南相馬市長選。市内在住の有権者の投票率が75%に達した一方で、市外避難者は10%ほど。その落差に驚いた。原発に古里を追われ、時間とともに奪われていく気力と帰属意識。避難者のいら立ちが、「あきらめ」に変わりつつある。そう感じている。

■南相馬市
 震災前の人口は7万1561人。津波などで636人が死亡、避難生活に伴う震災関連死は447人(2月24日現在)。ともに県内の自治体で最多。市内居住5万1643人に対し、市外避難者が1万4502人(同20日現在)で、震災後7200人余が転出。県外避難者は宮城の2269人が最多で山形914人、新潟883人、東京769人。市内の宅地除染進行率は原発20キロ圏内が0%、20キロ圏外が13%。

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