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二つの風(下) 作業員次々に去る 現場の思い伝え続ける

汚染された水が排水路を通じて海に流れ込まないようにする作業員ら=昨年12月17日、福島第一原発(東電提供)

■東京新聞 社会部 片山夏子記者

 夜、電話が鳴る。「明日、現場を離れろって言われた」。電話口から沈んだ声が聞こえる。「被ばく線量がいっぱいになっちゃって。次に戻って来るのは2年後かもしれない」
 いわき市に通いながら、東京電力福島第一原発で働く作業員の取材をしている。事故から3年。これまで何とか現場に踏みとどまってきたベテランも、5年分の被ばく線量の上限に達し、次々去っている。
 事故直後、作業員の結束は強かった。いわき市の旅館やホテルで共同生活をし、暗いうちに現場に向かう。水素爆発でめちゃくちゃになり、放射線量も分からない現場に、震えながら行った人もいた。「現場では被ばくのことなんて気にしてられない。みんな必死で作業をしている」。被ばくのことを尋ねると、口々に言われた。
 避難生活をする家族と離れて暮らす地元の人も多かった。働き続ける理由を聞き、「俺ら故郷に帰ること、まだ諦めていないから」と言われたときは何も言えなかった。避難先で亡くなった家族のことや、新しい環境になじめない子どもの話を、泣きながら何時間も話した人もいた。
 今、ベテランや技術者不足が深刻になっている。現場によってはベテラン不在で作業が長引き、被ばく線量が増え、疲労が蓄積する悪循環が起きている。
 平成23年12月の事故収束宣言後、コスト削減で待遇が悪化。競争入札が進み、仕事が安定せず、作業員が次々離れていった。長年働く男性は「被ばく線量がなくなったら次の人と交代。俺らは使い捨てだ」と吐き出すように話した。大企業は配置換えができるが、下請けや孫請けの作業員には次の仕事の保証はない。心を残しながらも、生活を考え去った人もいた。
 昨夏以降、汚染水漏れや人為ミスが相次いだ。「被ばくをしながら必死に作業をしても褒められることはないが、何かあればすぐたたかれる」とベテラン男性。その場にいるとすぐ死ぬような高線量だという誤った報道もあり、何人もの作業員に、「もうやめて帰ってきて」と心配する家族から電話がかかってきた。危険な場所で働いていることは家族に言えないと、つらそうに話す男性もいた。
 「作業は今後何10年も続くのに、報道されなくなった。忘れられるのが一番怖い」とつぶやいた作業員の一言が忘れられない。彼らがいなければ、事故収束も廃炉もない。被ばくと闘いながら現場で働く人たちの「福島を忘れないで」という思いを胸に、今後も伝え続けたい。

■原発作業員の被ばく線量限度
 国は「5年で100ミリシーベルトかつ1年で50ミリシーベルトを超えない」と定めている。事故直後は一時250ミリシーベルトまで引き上げた。平成23年11月に元に戻され、同年12月16日の政府の事故収束宣言後は「緊急作業」ではないことになった。多くの企業は余裕をみて年間15~20ミリシーベルト、5年で70~80ミリシーベルトに上限を設定。事故から3年を前に被ばく線量が上限に達し、ベテラン離れが深刻になっている。

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