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(57)はけ口 アルコール 避難者の絶望 酒だけが逃げ場 現実を忘れたくて

断酒して1年以上が経過したが、抗酒薬は手放せない

 「仮設住宅で朝から酔っている人の気持ちは痛いほど分かる」。浪江町樋渡の主婦島英子さん(63)は東京電力福島第一原発事故に伴う避難生活でアルコール依存症になった。「古里に家があるのに帰れない悔しさ、家族がばらばらになったやるせなさ、寝付けない苦しさ...」。忘れさせてくれるのが酒だった。
 断酒して1年余りになるが、すんなりとやめることができたわけではない。郡山市にあるアルコール依存の専門外来「大島クリニック」を受診したのが平成23年10月。その後、3回スリップ(再飲酒)した。今も抗酒薬が頼りだ。「この薬を切らしたら、またスリップする。命の次に大事なもの」
 転々とした避難生活、かなわぬ帰還―。原発事故発生後、心は乱れた。「原発事故さえなければ、避難生活さえなければ酒に溺れることはなかったのに」。酒に逃げ込んだ自分の弱さも感じているが、原発事故の不条理が憎らしい。

 最初は睡眠薬代わりの寝酒だった。夫(66)や次女、孫らと着の身着のまま避難した浪江町の津島小体育館。原発事故発生直後の平成23年3月12日、多くの町民であふれ、皆身を寄せ合って寝ていた。「もともと神経質」という島さんは、いびきや寝言、夜泣きなど物音がする度に目を覚ました。睡眠不足が続き、先の暮らしを見通せない不安や、いら立ちが増幅した。酒がないと寝付けなくなった。飲む量がどんどん増えた。なくなれば、山を越えて川俣町の商店に買い出しに行ってもらった。
 一週間ほどして二本松市の杉田住民センター体育室に避難先を移した。「あのころから本格的に飲んだんだ」。車の中で隠れて飲んだこともあったが、次第に避難者の目も気にならなくなった。「もう、どうでも良かった」。朝から晩まで飲み続けた。
 杉田住民センターの駐車場から安達太良山を眺めていると涙が頰を伝った。古里の山並みに重なって見えた。「早く浪江に帰りたい」。ばらばらに避難した長女や三女、孫たちは元気にしているだろうか。「寂しいよぉ」。コップ酒を握り締めた。
 二本松市内のアパートを借り上げてから、島さんも夫も飲酒量がさらに増えた。近くに避難している知人がやって来ると、お茶ではなく日本酒を出した。おめでたいことがあったわけではないのに威勢よく乾杯した。「一瞬でも避難生活を忘れたかったのよ」

 母にも見離され、つらく当たられた。
 「お前みたいなやつは来るな」
 母は避難先の郡山市の特別養護老人ホームで、酒臭い島さんをにらみつけた。「何しに来たんだ」。島さんの手提げバッグには、飲み終えたばかりの缶ビールが入っていた。
 母は昔から酔っぱらいと曲がったことが大嫌いだった。古里を追われ、娘が二本松市のアパートで酒浸りになっていることを知り、残念でならなかったに違いない。母に愛想を尽かされた島さんもショックだった。それでも、避難生活を思うと心がざわついた。「酒がないと生きていられなかった」
 母は24年10月、古里の地を踏むことなく避難先で亡くなった。86歳だった。酔っぱらった島さんに冷たく接したのは、「早く立ち直れ」との最後の愛情だったのかもしれない。そう気付いたときにはもう、母はいなかった。
×   ×
 原発事故に伴う長期避難が古里を追われた住民の心身を痛めつけている。不便な仮設住宅で、見知らぬ地の借り上げ住宅で、ストレスを抱え込む。心に開いた穴を埋めるように、多くの人々は、はけ口を求める。アルコールに逃げ場を見つけ、悲しみを忘れようとする人もいる。健康状態を悪化させるケースもある。苦しむ避難者、家族、医療関係者らの悩みは深い。

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