東日本大震災

「記者たちの3年」アーカイブ

  • Check

伝える未来へ(中) 体験談に息をのむ 経験を防災に生かして

被災者の体験談に聞き入る児童ら=昨年2月4日、高知県黒潮町

■河北新報社 報道部 東野滋記者 31

 東日本大震災の津波被災の実像を伝えるとはどういうことか。どんな意義があるのか。昨年、被災地から遠く離れた場所であらためて考える機会があった。
 河北新報社の防災ワークショップ「むすび塾」の取材で2月と5月、南海トラフ巨大地震で大きな津波被害が想定される高知県四万十町と三重県尾鷲市を訪れた。同行した震災の被災者が口を開くと、参加住民が一斉に引き込まれた。
 「夫は私の名を3回呼びながら流されていった」。眼前で夫と伯父を津波で失った相馬市の女性民生委員(65)が語った。濁流にのまれて漂流した宮城県女川町の男性消防士(43)は「すごい速さの引き波に800メートル運ばれた」と振り返った。
 壮絶な体験談に誰もが息をのみ、涙を流す人もいた。津波の怖さと悲しみを、圧倒的な現実感とともに受け止め、わが身と重ねたのだろう。その後の議論も自然と熱を帯びた。
 むすび塾に合わせて両地域の小学校で開いた講演会でも、子どもたちは同様の反応を見せた。後日届いた手紙には「地震が起きたらすぐに高いところに逃げる」「避難訓練を真面目に頑張りたい」と決意がつづられていた。
 震災の経験は、津波への危機感を喚起し、地域と人に備えを促す原動力となる。経験に基づく教訓は防災・減災対策に生かすことで、犠牲者を減らせる。一連の取材を通じ、それぞれの関係性を強く意識させられた。
 同時に思い出したのが、震災では「この地域に津波は来ない」「津波の前は潮位が下がる」といった過去の経験が逆に犠牲を拡大させたことだ。その危険性を認識した上で、生き延びるための行動に結び付く教訓とセットで被災地内外で伝えていく必要がある。
 その役割を誰が担うべきなのか。被災地の記者として引き続き取り組むのはもちろんだが、被災した住民一人一人が鍵になるのではないかと感じている。
 震災以降、各地で活動する語り部が代表格だ。石巻市の主婦佐藤麻紀さん(42)は避難先の高台に津波が押し寄せ、山の斜面を駆け上がって逃げた。津波で母と祖母を亡くした悲痛な思いとともに、自らの体験談を話し、迅速な避難を訴える。
 「私と同じような思いを誰にもさせたくない」。佐藤さんの願いは被災地共通だろう。語り部を名乗らずとも、地域や家庭で震災の経験と教訓を語り継ぐことは誰でもできる。それは風化にあらがい、未来につながる重要な作業となるはずだ。

■「むすび塾」
 東日本大震災の教訓を地域の防災・減災に生かすため、河北新報社が平成24年5月から開いている巡回ワークショップ。集会所や学校を会場に、住民らが減災・復興支援機構(東京)の木村拓郎理事長を交えて災害への備えについて話し合う。高知県や三重県、静岡県などの南海トラフ巨大地震の被害想定地域のほか、過去に津波災害を経験したインドネシアとチリにも「出張」し、通算29回開催している。

カテゴリー:記者たちの3年

「記者たちの3年」の最新記事

>> 一覧

東日本大震災の最新記事

>> 一覧