東日本大震災

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伝える未来へ(下) 命ほしいと思った 悲劇回避へ備えが必要

三重県松阪市の幼稚園の避難訓練。園児は近くの小学校屋上に避難し、保護者は幼稚園に向かわず小学校の屋上で落ち合うよう周知している

■中日新聞 社会部 平岩勇司デスク 46

 私がデスクを担当している中日新聞の防災面「備える 3・11から」では、この3年間、東日本大震災で被災した方の体験談を伝えてきた。
 その中で、宮城県南三陸町の70歳の女性を取材した記事は、特に印象に残っている。
 あの日、女性は自宅の庭で強い揺れに襲われた。
 「姉さん、津波が来んべ。早く起きて!」
 認知症で足腰が不自由な義姉=当時(90)=を連れて逃げようとしたが、1人ではとても無理だった。「助けてけろ!」と叫んでも、手助けする人はいない。
 「姉さん、悪いね」
 子どものころから津波が来たら「てんでんこ」と教わってきた女性は、はだしで外へ飛び出した。振り返ると、義姉が顔をしかめてこちらを見詰めていた。義姉は翌日、ベッドの脇で遺体で見つかった。
 今回の震災では、家族や知人を助けようとして共に犠牲になった方も多い。女性の選択を責める人はいないだろう。ただ、本紙記者が震災の8カ月後に取材した当時も、女性は「命ほしいと思ったべ。でも、割り切れねえ」と自責の念にさいなまれていた。
 デスクの私は、原稿を読むのもつらかった。「顔をしかめて見詰めていた」お姉さんの表情も浮かんでくるようだった。「次の震災に備えるため、役に立つなら」と話してくれた女性に感謝し、つらい選択を読者に伝えた。「あなたなら、どうします?」と。
 毎月第1、第3月曜日に掲載している「備える」では、いずれ訪れる南海トラフ地震の教訓とする報道に努めてきた。「災害が起きた後に素晴らしい記事を書いても、犠牲者は帰らない。災害前にこそ書くべきだ」。NHK記者時代に阪神大震災を取材し、現在は防災研究者の隈本邦彦名古屋大客員教授の言葉だ。それを使命と思い、震災の現実を伝え「では、どうすればいいか」と対策も提言している。
 大災害時、行政や消防などの「公助」は期待できない。南三陸町の女性のように年配の人がお年寄りの世話をしている場合、1人の力で動かせるリヤカーを用意するなど「自助」の方法を考えておく。町内会で話し合い、住民間で誰が誰を助けるか役割を決め、避難訓練を繰り返す「共助」の方法も検討する。
 そうした日頃の「備え」こそが、共に犠牲に遭う悲劇も、つらい選択で心に傷を負う悲劇も回避する最善の方法だ。それが、震災関連死を含め2万1000人を超える尊い命が教えてくれた戒めと信じ、今後も伝えていきたい。

■南海トラフ地震
 東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)で起きる可能性がある巨大地震。国はマグニチュード9級の地震が発生すると、犠牲者は最悪32万人と想定する。愛知、静岡、三重各県の沿岸部では、付近の住民に呼び掛けたり助けたりしながら逃げる「率先避難」の訓練を取り入れる動きが増加。高地の少ない地域では公園に盛り土をした「命山」の造成、上部の通路を広場のように横に広げた「避難所兼用歩道橋」も登場している。
=「記者たちの3年」は終わります=

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