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(63)はけ口 アルコール 依存からの脱却 車の中で「隠れ飲み」 物に当たり、死を望む

避難先の車の中で飲んだ缶ビールはうまかった。男性のアルコール依存症は車内の「隠れ飲み」から始まった

 東京電力福島第一原発事故で古里を追われた避難者の一部は心労をため込み、そのはけ口を酒に求める。多くの医療関係者が問題を指摘する。専門の医療機関で治療を受けても、アルコール依存症からの脱却は簡単ではない。

 東日本大震災と原発事故発生間もない平成23年3月13日。放射性物質に追い立てられるように、大熊町から着の身着のまま避難所の田村市常葉体育館に転がり込んだ。体育館にいると人いきれに息が詰まった。車に逃げ込むと、少し落ち着いた。
 「俺はここで何をやってるんだろ」
 避難所の駐車場に止めた車の中で何とはなしに飲んだ缶ビールがうまかった。元原発作業員の男性(59)の「隠れ飲み」はこうして始まった。
 酒を飲めば、少しの間だけ現実を忘れることができた。しかし、いくら飲んでも気分が晴れない。不快な感情や不安をごまかすようにあおった。深酒の先には絶望が待っていた。
 震災当時、福島第一原発4号機の炉心近くで配管の洗浄をしていた。放射性物質の恐ろしさは身に染みていた。古里に戻るのが容易でないのはすぐに分かった。見知らぬ地での避難生活はこれからも続くのだろう。自ら命を絶ってしまえば、苦しみから解放される。「もう、どうでもいいや」。本気で死を望んでいた。
 体育館のテレビは、原発の緊急事態を繰り返し伝えていた。1号機に続いて、3号機でも原子炉建屋の水素爆発が起きた。
 「もう大熊には帰れないぞ」。一緒に避難してきた妻(63)に言った。誇りにしてきた原発での仕事も、27歳で建てた自宅も全て失ったと感じた。
 避難所には何人かの顔なじみがいた。話をすると気分はまぎれたが、すぐに悲しみが押し寄せてくる。底冷えする体育館、避難者から漏れるため息や愚痴...。寒空の下、屋外の階段や車止めに腰を下ろす。たばこを吸うわけでも、遠景を望むわけでもない。「ただ、ぼーっとするだけ」。先々のことを考えると嫌気が差し、妙にいらついた。「飲むしかなかったんだ」
 近くの店には酒が存分にあった。食料もガソリンも不足していた原発事故直後でも、困ることはなかった。
 これまでは500ミリリットルの缶ビールを2本飲めば眠くなった。だが、避難所に来てからというもの、朝から栓を引くようになった。
 田村市の体育館には1週間ほどいて、会津若松市のあいづ総合体育館に移った。そこでも、安らぐ居場所は駐車場の車だった。「避難の苦しみを忘れたかった。ただそれだけ」。午前中に4、5本、午後も同じ量を飲んだ。酔えば寝て、起きては飲んだ。目が据わり、表情はきつくなった。妻に注意され、物に当たり散らしたこともあった。酔っていて記憶は不鮮明だ。急変ぶりに妻はおびえていた。

 娘の夫は原発関係の会社に勤めていた。その社員寮が新潟県柏崎市にあった。避難所よりは落ち着いて暮らせる。妻も娘もそう考えた。
 23年4月初旬、妻と柏崎市の社員寮に引っ越した。しかし、事故収束の兆しが見えない原発への不安、古里を放射性物質に汚されたいら立ちがくすぶり続けた。
 引っ越せば飲酒ぐせも収まるのではないか-。家族が抱いた期待は、幻想にすぎなかった。

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