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(71)絶望 追い込まれた命 将来悲観、身を投げる 「どうしたらいいべな...」

「これからどうしたらいいべな」。思い詰めた喜一さんは平成23年7月、飯舘村の真野ダムの橋から身を投げた

 東京電力福島第一原発事故で古里を追われた浪江町の五十崎栄子さん(65)は15日、福島地裁の法廷に立った。原発事故による避難生活を苦に自ら命を絶った夫喜一さん=当時(67)=の無念を晴らすためだ。
 平成24年9月、東電を相手取り約7600万円の損害賠償を求めた訴訟を起こしてから約1年7カ月が過ぎた。「夫は避難生活でうつ病になり将来を悲観して自殺した」。双葉地方の町村が設けた関連死の審査会では因果関係が認められ災害弔慰金を受け取ったが、東電は栄子さんらの訴えを認めようとしない。
 「原発事故で人生をめちゃくちゃにされた。お父さんを返してほしい」。原発事故さえなければ避難しなくて済んだ。家族がばらばらになることもなかった。まして、大事な人を失うこともなかった。東日本大震災から3年余りが過ぎても、放射性物質に追い立てられ避難に避難を重ねた日々は、脳裏に鮮明に焼き付く。「金が目的ではない。線香を1本でもあげて謝罪してほしいだけなんだ」

 「これからどうしたらいいべな」
 喜一さんが自ら命を絶つ何日か前のことだった。
 ふいの問い掛けに栄子さんは「気をもんだって仕方ないべ。なるようにしかならないよ」と返した。「んだな」と相づちを打った喜一さんは見るからに思い詰めていた。
 23年4月に二本松市のアパートに身を寄せた。それから3カ月。喜一さんは口数が減り、食欲は落ち、不眠に悩まされていた。「あまりに暗かった。早まったことをしかねないと思った」。栄子さんは、喜一さんが寝静まってから眠るようにした。喜一さんを1人にしないよう気を配っていた。
 7月23日、栄子さんは午前5時半ごろに目が覚めた。喜一さんが隣で寝ていることを確認し、もう一寝入りした。6時すぎに隣を見ると、喜一さんの姿はなかった。
 栄子さんは友人に会うため午前10時ごろに家を出た。玄関のげた箱の上に置いてある車の鍵がないことに気付いた。「郡山市に避難している釣り仲間のところにでも行ったのかな」。あまり気に留めなかった。
 栄子さんは午後3時ごろ帰宅した。「お父さん、お父さん」。呼んでも返事がなかった。夕方、釣り仲間に電話したが「来てない」と言われた。日が落ちても戻らず、二本松署に捜索願を出した。
 警察署で待つ時間は途方もなく長く感じられた。午後9時ごろだった。飯舘村の真野ダム近くで喜一さんの車が見つかった。計画的避難区域に設定され、全村避難を余儀なくされていた。近くに知り合いでもいるのかと署員に聞かれたが、思い当たらない。
 車はある。喜一さんがいない。署員に「奥さん、これは最悪のことを考えた方がいいぞ」と言われた。
 喜一さんは真野ダムの橋から身を投げた。

 翌朝、喜一さんの遺体は橋の下の草地で見つかった。死因は外傷性ショックだった。二本松市からダムまでは直線で約40キロ。古里の近くまで車を走らせたのだろうか、死に場所に迷ったのだろうか。満タンだったはずのガソリンはなくなっていた。
 南相馬署で喜一さんと対面した。
 「なんで...。なんでこうなっちゃうの」
 喜一さんは命を絶つ前日、これまでとは打って変わって明るい表情を見せていた。もしかしたら、無理に冗談を言ってみせたのかもしれない。そう思うと、涙が止まらなかった。

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