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(72)絶望 追い込まれた命 糖尿病悪化 眠れず 釣り、畑...生きがい奪われ

喜一さんらが1カ月余りを過ごした安積高体育館。底冷えする館内で糖尿病の症状を悪化させた

 東京電力福島第一原発事故に伴う避難中の平成23年7月に自殺した浪江町の五十崎喜一さん=当時(67)=は、原発作業員だった。58歳で退職した後も、嘱託として22年まで福島第二原発の定期検査などに従事していた。
 65歳になってからは仕事に行くのをやめた。「今度は俺の時間だ」と言って耕運機を買い、家庭菜園に没頭した。趣味の海釣りやアユ釣りも楽しんだ。トマトやダイコン、ハクサイなどを収穫しては妻の栄子さん(65)を喜ばせた。「今年はもっといいものができるよ」。肥料や農業資材を買い足した直後の原発事故だった。
 「原発は今はいいけど、何か起きたらもう駄目だ。逃げるしかないぞ」。事故前に口にしていたことが現実になった。

 23年3月12日早朝、福島第一原発周辺の町村に退避指示が出された。喜一さんや栄子さんらは放射性物質から逃れるように浪江町の苅野小、浪江高津島校、津島中、津島小を転々とし、13日夕に郡山市の安積高体育館に転がり込んだ。
 喜一さんは食料配布の列に並んだり、畳を借りて寝床を作ったり、家族のために動いてくれた。ところが、1週間くらいたったころから「眠れない」と言いだした。底冷えする体育館は騒々しく、気の休まる時間はなかった。暖房器具の前に椅子を置いて座り込んだ。「それから、だんだんと誰ともしゃべらなくなった」。避難所の近くを散歩することもなくなった。
 喜一さんは糖尿病を患っていた。飲み薬を持たずに避難を余儀なくされた。避難所は栄養の偏った冷たい食べ物ばかりで食事療法ができなかった。しばらくすると血糖値が上がり、足のしびれなどを訴えた。
 県外の医療機関から避難所に派遣された医師らに血糖値や血圧を測ってもらい、薬を処方されたが「かかりつけの医者の薬でないと、俺は絶対に駄目だ」と繰り返した。案の定、薬を1週間飲んでも、血糖値が思うように下がらず、足のしびれも取れなかった。郡山市内のクリニックを受診したが、快方に向かわない。食が細くなった。
 避難生活で生きがいを奪われた。喜一さんは「釣りも畑もできない。家にも帰れない。何にもできない」とため息をこぼすようになった。

 長男純一さん=当時(35)=の死などに伴い、孫の貴明さん(20)を引き取って一緒に暮らしていた。貴明さんが通っていた津島校がどこで再開されるかも気掛かりだった。避難所生活が1カ月近くになった4月10日、郡山市で浪江高の学校説明会があった。5月から二本松市にサテライト校を開設するという話だった。
 郡山から二本松への電車代は負担が大きい。喜一さんは「高校は卒業させたい。とにかく二本松に移らないといけないな」と決断した。二本松市内の不動産屋を巡り、やっとの思いで2LDKのアパート一室を見つけた。
 一緒に避難してきた母シズイさん(93)の体調悪化も悩みの種だった。浪江町で暮らしていたころは草むしりやごみ出しを手伝ってくれたシズイさん。医者にかかったことはほとんどなく、自立した生活をしていたが、避難生活を送る中で認知症になった。「いつになったら帰れるんだ」と数分置きに繰り返した。
 4月13日、喜一さんと栄子さん、シズイさん、貴明さんの4人で二本松市に移り住んだ。避難所の寒さ、騒音、人目などからは解放された。
 それでも不眠や食欲不振は改善しなかった。

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