東日本大震災

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再生祈り被災地に花生ける 南相馬に移り活動

最初に訪れたころ、請戸で生けた作品。がれきの中から見つけた長靴を器にした

■大阪の花道家元・片桐功敦さん40 日航機事故で父失う...思い重ね

 被災地の砂の丘に、廃屋の片隅に、花を生ける人がいる。昨年12月から南相馬市に住む大阪府堺市の花道みささぎ流家元片桐功敦(あつのぶ)さん(40)。片桐さんは小学6年生の時、日航ジャンボ機墜落事故で父親を亡くしている。やりきれない悲しみや怒りを抱えた立場は、浜通りの被災者に重なる。心の浄化を託し、今日も荒れた野や浜に再生の花を手向ける。
 片桐さんと本県被災地のつながりは昨年9月、文化庁の支援を受けて県立博物館が展開する「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」に招かれてから。当初は浜通りで出土した土器などに野の花を生ける創作作品を期待された。実際に浪江町や南相馬市小高区に足を踏み込むと、がれきの山と荒れた野のすさまじい風景に圧倒された。
 請戸港を浪江町の人に案内された日、書類やひしゃげた鉄パイプが散らばる漁協事務所で花の器を探した。携えてきたミソハギなどを、見つけたゴム長靴に生けて窓辺に供えると、同行の人からは深く感じ入った様子で「手を合わせるような気持ちで生けてほしい」と頼まれた。
 「たくさんの方が亡くなったことを迫るように感じた。踏み込んだ以上、ここで何かをしなければならない」と思った。12月からはプロジェクトの支援を受け、南相馬市原町区のアパートで月の3分の2ほどを過ごすようになった。被災地での数日の取材をアリバイのようにして作品を仕上げるのには抵抗があった。教室など家元としての大阪での日程をやりくりし、本県の時間を確保した。
 父親の右弼(ゆうすけ)さんが41歳で亡くなった後、母親の悦子さん(66)は墜落現場となった「御巣鷹の尾根」に通い、全ての墓標に花を供える活動を何年も続けた。片桐さんも何度か一緒に登ったが「当時は自分のことで精いっぱいで、気持ちを寄せてあげられなかった。しかし、気が付けば同じようなことをしている」と感じている。
 被災地でもモノクロの冬がようやく終わるとウメが咲き、ツバキがほころんだ。今、住宅の基礎が残る土地では人が植えたであろうスイセンが黄や白の花を咲かせている。16日、請戸港近くの砂浜で片桐さんが生けたスイセンの花々は皆、海を向いていた。「残された人々の姿のように見えるでしょうか」
 5月いっぱいは南相馬で過ごす。その後も大阪と往復しながら被災地の四季を作品にし、写真に残すつもりだ。展示会も考えている。「被災地の本当の姿を、生きている花で伝えたい」と思っている。

浪江町の海岸で再生と浄化を願い、スイセンを生ける片桐さん

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