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(74)絶望 追い込まれた命 夫の死 無駄にしない 「因果関係認めさせる」

栄子さんに相談相手はいない。孫のウイニングボールが添えられた仏前に話し掛ける

 浪江町の五十崎栄子さん(65)は東京電力福島第一原発事故に伴う避難中の平成23年7月、夫の喜一さん=当時(67)=を亡くした。ふいに姿を消し、飯舘村の真野ダムで投身自殺した。
 その兆候がなかったわけではない。喜一さんが命を絶つ2週間ほど前、平田村で高校軟式野球県大会があった。わが子のように育ててきた孫の貴明さん(20)の最後の夏の大会だった。
 小学3年から地元のチームで野球を始めた貴明さんの試合は欠かさず観戦してきた。孫の成長を何より楽しみにしていたはずなのに、晴れ舞台に「おれは行かねえ」と言い出した。栄子さんは「たー君の最後の試合なんだから早く行くべ」と喜一さんを無理やり連れ出した。
 貴明さんは初戦に外野手で出場したが負けた。浪江にいたころの喜一さんなら大声で声援を送っていたが、この日は何やら考え込んでいた。翌日の敗者復活戦で貴明さんは初めて先発し、勝利投手になった。「負けなくてよかったな」。喜一さんはつぶやいただけで、にこりともしなかった。
 「一人にしておいては危ない」。そう感じていた栄子さんは今も、後悔で胸が押しつぶされる。

 南相馬市の葬儀場で密葬した。祭壇には、喜一さんが大事に使っていた釣りざおを置いた。遺影は運転免許証の写真を引き伸ばした。四十九日、百か日と時がたつにつれ、「何でうちの夫は自殺しなければならなかったのか」「そもそも原発事故の避難生活さえなければ」との思いは東電への怒りに変わっていった。
 23年12月、栄子さんは東電に喜一さんの死亡補償を請求した。東電から「死亡事故原因に関する確認」との書面が届いたのは年が明けた2月20日。喜一さんが命を絶った当日の様子や自殺の動機などの記入を求められた。しらじらしく感じられたが、知っている限りを書き込み、提出した。それ以降、返答はなかった。
 「こんな不誠実なことはない。夫は勝手に自殺したと思われているようで本当に悔しい。線香の一本も上げにこない」。業を煮やした栄子さんらは24年9月、東電に約7600万円の損害賠償を求めて提訴した。
 浪江町への災害弔慰金の受給申請も難航した。一度目は「自殺はだめ。該当しない」と却下された。「原発事故さえなければ避難生活もしていないし、仕事もできていたんだから、自殺なんかしないでしょ」。申請書類にびっしりと自殺と原発事故の因果関係を書いた。二度目の申請で、震災関連死に認められた。

 「この3年間、いろいろありすぎた。立ち止まる余裕なんてなかった。無我夢中だった」。東電との裁判が続く一方で、避難中に認知症を患った母シズイさん(93)の症状がさらに悪化し、25年8月下旬に高齢者施設に預けた。
 その数日後には、本宮市の仮設住宅で暮らしていた喜一さんの弟(60)が脳内出血で倒れた。たまたま友人がいて、命だけは救われたが後遺症が残った。「何もやることがなくて朝から酒を飲んでいた。食事も不摂生だったようだ」
 義母も義弟も避難生活を強いられなければ、こんなことにならなかったと考えている。「避難生活が長引くほど人は追い込まれるんだよ。時間がたつほど病気や死亡との因果関係がなくなるわけではない。東電はそこを分かっていない」
 何を決めるにも相談相手がいない。「お父さん、どうしたもんかね」。貴明さんのウイニングボールが飾られた仏前に話し掛ける。「そうだね、前を向いて生きていくしかないね」
 =「絶望 追い込まれた命」は終わります=

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