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座談会(5)大きな負担強いられ 避難生活

渡辺彦巳氏

 -原発事故に伴う避難者は現在も約13万人を数えます。事故発生当初は浜通りを中心にさらに多くの住民が古里を追われ、避難所生活を強いられました。現在も仮設住宅や借り上げ住宅で、大きな負担を強いられている避難住民も多いのが現状です。

 三瓶一義氏 富岡町から避難し、今は福島市の借り上げ住宅に入っています。震災直後は川内村の体育館や小学校の避難所に行きました。体育館ではストーブが1台しかなく、食事も1日におにぎり1個だけ。大勢が避難していましたので、もう村内に炊き出しをするコメがないと防災無線で伝えられました。避難所にいる間、以前の交通事故のけがが悪化し、須賀川市の息子宅に移って通院しました。
 兄の仮設住宅に宿泊すると、隣に住む人がトイレ、風呂の水を流す音、話し声などが全部聞こえます。せきばらい、寝返りするのも分かります。午後8時を過ぎると、仮設住宅の部屋からは誰も外に出ないし、物音一つしません。みんなそれに慣れてしまっている現状でいいのかと疑問に思います。
 渡辺彦巳氏 原発事故発生後間もなくして父が病気で亡くなりました。その後、母は川俣町内の介護施設に入りました。同じ川俣町山木屋の地区住民もいて、いつも一緒に過ごしていましたが、そのうち退去しなくてはならなくなり、福島市の高齢者マンションに移りました。
 母は個室で一人でいる時間が長くなり、「山木屋に早く帰りたい」と訴えるようになりました。「一人で戻っても暮らせない」となだめていましたが、生きる望みを失ってしまったように見えました。程なく亡くなりました。父は震災(原発事故)関連死に認定されましたが、母のケースは死因との因果関係が薄いとして認定されていません。古里に戻りたいと心労を重ねた母を思うと無情を感じます。

 -避難生活で体調を悪化させる人がいます。避難生活に、どのような問題点があるのでしょうか。

 成井香苗氏 「あいまいな喪失」を感じ、大きなストレスを抱えている避難住民が目立ちます。家が完全に壊れてしまったわけではないので、古里での生活を諦め切れない。さらに自分で望んだ事態ではないため、余計に執着心が出てきます。克服するには、いくら「あいまい」であっても、帰還できない、元のようには取り戻せないという現実を認めるしかありません。
 特に仕事を生きがいとしてきた人は、自らのアイデンティティーが奪われたと強く感じています。人の多くは仕事によって「生きる意味」を見いだします。自分が誇りを持ってきた仕事が避難先で途切れてしまったことが大きな喪失感につながっています。培ってきた能力を生かせるような就業支援が求められます。

 -原発事故による農業被害や風評被害などで避難区域の住民以外も苦難を経験してきました。

 樽川和也氏 先祖代々、須賀川市で農業に従事してきました。原発事故が発生した直後、避難しようと、車に荷物を積んでガソリンを確保しました。しかし、あてもなく逃げても、その先でどうやって生活するのかという結論になり、荷物を下ろしました。
 父はキャベツなどの野菜が放射性物質のため出荷制限となった翌日、自宅裏で自ら命を絶ちました。亡くなる数日前に吐き気を訴えたのは、急性うつの症状だったと思います。守ってきた大地が放射性物質によって汚され、将来に絶望してしまったのだと考えています。
 事実、風評被害は現在も続いています。コメや野菜の価格は低迷したままです。キュウリを東京・築地市場に20年程度出荷していますが、価格はべらぼうに安い。あえて県産品を選ぶ仲買人はいないだろうと、市場関係者から言われたことさえあります。

■渡辺彦巳氏
 わたなべ・ひこみ 川俣町山木屋出身。山木屋地区が計画的避難区域になり、福島市に避難している。避難の過程で両親を亡くした。川俣町が原発事故関連死を災害弔慰金の対象としていなかったため、申し出から受理、支給まで2年以上かかった。61歳。

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