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「とうちゃんの味守る」 食堂自慢のソースカツ丼

■会津若松市大町 斎藤照雄さん(79)

 ソースカツ丼が人気を集める会津若松市大町の「若松食堂」。2代目店主の斎藤照雄さんは東日本大震災の翌日、余震で崩れた自宅の土壁の下敷きになり亡くなった。現在、店を切り盛りする妻の末子さん(77)は体の続く限り、全国にファンを持つ味を守り抜くと誓う。半世紀をともに生きた夫への最高の供養になると信じるから。
 ボリュームたっぷりのカツから、香ばしいソースの匂いが漂う。若松食堂は、県内外から訪れる客でにぎわう。震災前と変わらぬ風景だ。照雄さんが、いないことを除いては...。
 照雄さんは会津工高を卒業し東北電力に就職した。高校時代、父を亡くしていた。女の細腕で食堂を切り盛りする母を助けようと決意し、料理人に転身。東京・銀座などで約3年間修業した。昭和33年、故郷に戻り店を手伝い始めた。翌年に末子さんと結婚し、食堂を経営する傍ら3人の娘を育てた。
 「わいわいするのが大好きだった」と末子さん。子どもの面倒見が良く、近所のみんなから慕われていた。
 店の自慢は、母から受け継いだソースカツ丼。ソースをつぎ足しながら使い先代の味を守り続けてきた。注文を受けると、照雄さんの表情は見る見る間に輝いたという。夫の笑顔に、末子さんもうれしくなった。働きづめだったが、小さな食堂は幸せで満ちていた。
 照雄さんは平成16年、市内の有志とともに「伝統会津ソースカツ丼の会」を結成した。城下町の市民に長年、親しまれてきた丼の存在は日本中に知られるようになった。「全国からもっと、もっと会津のソースカツ丼を食べにきてほしい」。夢は大きく膨らんでいた。
 別れは突然、やって来る。23年3月12日。照雄さんは店の裏にある自宅で、前日の震災で崩れた土壁の状況を確認していた。午後4時35分ごろ大きな余震が起き、再び土壁が崩れる。照雄さんは下敷きとなり息を引き取った。
 末子さんは、照雄さんの告別式が行われた翌日の3月17日、店を再開させた。会津に春の訪れを告げる赤枝彼岸獅子(磐梯町)のお宿(休憩場所)となっていたためだ。「休むわけにはいかなかった。夫が好きだった彼岸獅子を迎えなかったら、きっと悲しむはずだから」
 震災から3年3カ月を迎えた。厨房(ちゅうぼう)に立つ末子さんの脳裏を、夫婦水入らずの還暦旅行の思い出がよぎる。出歩く機会の少ない自分を、北海道に連れて行ってくれた。その心遣いを思うたび、胸が締め付けられる。
 「とうちゃんの愛したソースカツ丼の味は私が守っていく」

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