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強く優しい自慢の夫 春菊作りに励んだ母

■南相馬市原町区雫 菅野勇一さん(66)イサさん(88)

 勇一さんと母イサさんは東日本大震災の津波にさらわれた。勇一さんの妻の弘子さん(69)は2人の遺影に、毎日語り掛ける。「朝から天気がいいよ。今日も見守っていて」。最愛の家族を失った悲しみは、いまも癒えない。
 勇一さんは小高工高を卒業後、JR東日本に勤務し、路線の電気関係の管理などに携わった。24歳の時、1歳下の弘子さんと結ばれた。単身赴任の時期が長かったが休みのたびに自宅に顔を出していた。
 勇一さんは飾らず、はっきりと本音を話す性格だった。小さい子どもに好かれ、市内と仙台市に住んでいる孫からは「じいちゃん、じいちゃん」と懐かれていた。お盆の時期に孫らと家族でいわき市のスパリゾートハワイアンズに出掛けるのが何よりの楽しみだった。「強くて優しい人だった。結婚してから、怒鳴ったりすることは1回もなかった」。弘子さんは「自慢の夫」と目を細める。
 イサさんは、春菊作りに励んでいた。弘子さんに育て方を教えた。弘子さんは見事な春菊を育てるようになり、地元で平成22年に開かれたJA関連のコンテストで知事賞を受賞した。受賞を聞いたイサさんは自分のことのように喜んだ。
 震災発生時、自宅にはイサさんと弘子さんがいた。激しい揺れの後、防災無線が津波の危険を伝える。出掛けていた勇一さんが戻ってきた。イサさんを乗せた勇一さんの車と、弘子さんの車の2台で避難しようと決めた。自宅前の道路に出てすぐ、弘子さんの車は波にのまれた。弘子さんはいつの間にか気を失った。浮いた状態の車に乗っているのを救助隊に発見され、奇跡的に一命を取り留めた。その日、勇一さんらと連絡は取れなかった。数日後、2人は帰らぬ人となって見つかった。
 今年6月、弘子さんはイサさんにもらった着物を着て、カラオケの発表会に臨んだ。カラオケはイサさんが趣味にと勧めてくれた。イサさんの友人から「この姿を見せてやりたかったね」と話し掛けられた。弘子さんは涙が止まらなかった。
 「2人を忘れたくても忘れられない。前向きに生きるしかないんだよね」。弘子さんは自分に言い聞かせている。

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