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「賠償の底流-東京電力福島第一原発事故」アーカイブ

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第1部 ふくしまの叫び(1) 頼らざるを得ない どうやって生きるか

出荷停止が続く原木シイタケ。原発事故以降、ほだ木は放置された。山林の除染は手付かずのままだ

 田村市都路町の避難指示解除準備区域が解除されて8カ月余りが過ぎた。同町古道の合子荻田地区は、阿武隈山系の山林に囲まれた20戸ほどの集落だ。

 「避難が解除されたからといって、元通りの生活には戻れない」。原木シイタケ農家の坪井哲蔵さん(66)は白い息を吐きながら、雪が舞い始めた集落を見渡した。周辺で帰還した住民は少ない。昨年末に自宅に戻ったが、仕事はない。生活費は東京電力から支払われる損害賠償に頼らざるを得ないのが実情だ。

 生活の先行きが見通せない―。不安で胸が締め付けられる。


 東京電力福島第一原発事故から3年9カ月が過ぎても、生業の原木シイタケの露地栽培は政府から出荷制限が掛かっている。仕事を再開できない。居間のこたつで静かに過ごすしか、することがない。

 収入は年間約67万円の国民年金しかない。妻の英子さん(59)と母との3人暮らしを維持するのは難しい。3人分の精神的損害賠償として東電から支払われる月額30万円で日々の食費や燃料費を賄う。

 避難指示解除から1年間―。精神的損害賠償が支払われる目安だ。賠償金が頼りの綱だが、支払いの終了が残り3カ月に迫っている。

 現在、未請求だった平成24年度以降の不耕作に伴う損害賠償金を受けるため東電と交渉しているが、その額も、いつ支払われるかも決まっていない。

 70歳近くの男が農村部で新たな職を見つけるのは困難だ。シイタケ栽培一筋だった人生は原発事故による放射性物質の拡散で暗転した。喪失感に支配され、何もする気持ちになれない。時間だけが過ぎていく。精神的な苦しみは、今もなお続く。

 「賠償金はいつかなくなる。その時、どうやって生きていくかを探っていかないと」。焦りばかりが口を突く。


 今年9月、文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会の能見善久会長らが田村市都路町、川内村などを視察した。「精神的損害賠償を解除後1年で打ち切るのは不適当」。避難区域を抱える首長の要望に対し、その時は打ち切り時期を再検討する意向を伝えた。

 ただ、審査会の田村市都路町の視察は1時間足らずで、避難指示が解除された地域は車内から窓越しに見ただけだった。

 「1年で賠償を打ち切ることが、直ちに不適当という印象は持たなかった」。能見会長は県内視察を終え、こう口にした。

 その後、精神的損害賠償の打ち切りが先送りされたとの話は聞かない。坪井さんは疑念を抱く。「ちょっと見たぐらいで、避難を強いられた地域での生活の苦しさなんて分からない」
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 損害賠償―。原発事故の場合、放射性物質によって失われた生活を埋める金だ。時間の経過とともに、それはなくなろうとしている。被災者はかつての暮らしを取り戻せたのか。いっときの金だけでは償い切れていない現状が浮かぶ。

カテゴリー:賠償の底流-東京電力福島第一原発事故

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