東日本大震災

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変わらぬ現実、苦悩 酪農再開に迷い 原町から山形に避難の酪農家

牛がいなくなった牛舎を眺める但野さん

 「原発事故前の生活に戻れるわけではない」。東京電力福島第一原発事故に伴う南相馬市の特定避難勧奨地点が28日に解除されたが、指定世帯で山形県で避難生活を送っている原町区片倉の但野賢士さん(43)は解除後も変わらない現実に苦悩する。
 東日本大震災と原発事故前は自宅で、父、母、妻、長男の5人で暮らし、一家で酪農を営んでいた。
 家族が協力して世話する牛たちの牛乳は自慢だった。牛が「一番草」を食べる5、6月に取れる牛乳は特においしく、有名アイスクリームメーカーに提供するほどだった。
 仕事も軌道に乗り、牛舎を新築して牛を10頭増やそうと計画しようとしていた矢先、原発事故が起きた。但野さんの両親は本宮市に避難した。但野さんは妻、長男と山形県上山市の借り上げ住宅に移り、一家はばらばらになった。約30頭いた牛は全て手放した。
 平成23年5月、牛たちを処分するためのトラックに乗せた。県酪農業協同組合の職員から牛廃用の書類を手渡された時、無念のあまり涙が出た。「父が牛2頭から始めたわが家の酪農が終わってしまった」と感じた。
 「また南相馬で一家で酪農をやりたい気持ちがある」。だが、決断を迷う理由がある。避難先で小学校に入学した長男は4年生になり、新たな友人との学校生活を送っている。南相馬市の自宅に帰れば、生活環境は再び大きく変わる。「帰還という選択が本当に息子のためになるのか」と自問自答する。
 但野さんは4月から福島市の牧場で研修生として働くことを、決めた。帰還の踏ん切りはつかないが、「少しでも酪農に関わっていたい」と話す。「市や国は、住民の健康管理と、震災前のように市民同士が仲良く過ごせる街を取り戻す努力をしてほしい」。空になった自宅の牛舎を見詰めながら強く求めた。

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