東日本大震災

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神戸の教訓生かす 2度大震災経験の松井さん 防災常に心掛け

白河工場が所有するポンプ車を点検する松井さん

 6434人が死亡した阪神大震災は17日で発生から20年の節目を迎える。白河市の住友ゴム工業白河工場で総務課保安班長を務める松井俊哉さん(50)=神戸市出身=は阪神と東日本の2度の大震災を体験した一人だ。平成7年は神戸工場で被災し、工場は閉鎖に。異動先の白河工場でも被災したが、神戸の経験を基に人的被害は免れた。「2度の震災経験を会社の防災体制に生かす」。日頃から災害に備える重要性を訴え続ける。
 松井さんは、昭和58(1983)年に神戸市の高校を卒業後、住友ゴム工業神戸工場に入社した。主にオートバイ用のタイヤ製造に携わってきた。
 阪神大震災が発生した平成7年1月17日の光景は今でも脳裏から離れない。夜勤で約150人の従業員が働いていた。午前5時46分、突然、立っていられないほどの揺れに襲われ、工場は停電した。「何が起こったかすぐに状況がつかめなかった」
 神戸工場は激しい揺れで煙突は折れ、天井は落ち、路面はひび割れた。一人もけが人がいなかったのが奇跡だった。従業員の安否確認が終わり、約5時間かけて市内の自宅に歩いて帰宅した。家族も無事だった。しかし、住み慣れた神戸の街は一変した。
 「当たり前の風景がなくなってしまった」。震災後に、出社しても散乱した材料の片付けや設備の点検に追われた。住友ゴム工業は神戸工場の再建を断念。松井さんは同年4月に白河工場に転勤した。
 白河工場では、自動車用タイヤの製造をしていたが、21年4月から従業員の安全などを確保する保安班に異動が決まった。「避難する立場から避難を誘導する立場に変わった。阪神大震災の経験を生かさなければ」。震災への備えが自分の使命と感じた。
 神戸で真っ暗な中、工場内を逃げ惑った経験から白河工場の防災体制の強化に努めた。年5回の避難訓練を定期的に実施。停電で連絡が取れなかった教訓を生かし、衛星電話を配備するなど、できる限りの防災体制づくりに取り組んだ。
 そのかいもあって、23年3月11日に起きた東日本大震災では、避難誘導に支障が出ず、迅速に従業員の安否を確認できた。衛星電話で、神戸市の本社と密に連絡が取れ、震災翌日の12日には食料品や生活物資が名古屋工場からトラックで運搬された。工場敷地内は地割れや液状化などの被害に遭ったが、約10日後に生産再開を果たした。
 住友ゴム工業は1月17日を「防災の日」と定め、防災講話などを行っている。阪神大震災の風化を防ぎ、経験を若手従業員へと受け継ぐためだ。今年は、安否を知らせるメールの確認、徒歩による帰宅訓練に取り組む。
 松井さんは「自然災害は避けられない。訓練などを通して日頃から防災を心掛けるのが大切。食料の備蓄や連絡手段の確保、どのように行動するか確認を徹底し、万一の災害に生かしたい」。従業員を守る対策をさらに整えていく。

■17日郡山で追悼行事 キャンドルともし黙とう
 郡山市のNPO法人ハートネットふくしまは17日早朝、郡山市の開成山公園で、阪神大震災の犠牲者の冥福を祈るイベント「がんばろう神戸2015追悼の灯り」を催す。阪神大震災の翌年から毎年、行っている。約500本のキャンドルをハート形に並べ、「1・17」が浮かび上がるように火をともし発生時間に黙とうをささげる。
 NPOは阪神大震災の現地で取り組んだボランティア活動がきっかけとなり発足した。吉田公男理事長(58)は「東日本大震災を経験した県民とし、震災を風化させてはいけない」とイベントの意義を訴える。
 イベントへの参加は自由で問い合わせは同NPO 電話024(954)7959へ。

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