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元気に畑仕事 小柄な体で家族のために

■南相馬市小高区塚原 松本富子さん(77)

 南相馬市小高区の松本富子さん=当時(77)=は家事の傍ら畑仕事をこなす働き者だった。採れた野菜をおいしく料理し、家族を喜ばせた。東日本大震災の津波で行方が分からなくなる。見つかったのは昨年3月だった。「長い間、1人で寂しかっただろう」。震災から11日で3年11カ月となる。郡山市に避難する会社員で長男の勝彦さん(52)は家族や友達に囲まれていた富子さんの笑みを思い出す。

 富子さんは身長が145センチほどだったが、いつも元気いっぱいに野菜作りや編み物をしていた。食卓には大根やジャガイモ料理が並んだ。漬物が得意で、特にシソの実やキュウリのみそ漬けは家族の大好物だった。勝彦さんの妻真理江さん(49)は「私より20センチも小さいお母さんと台所で重なり合うようにして調理をしていた」と懐かしむ。
 優しい性格で、面倒見が良かった。茶の間には富子さんとお茶飲み友達の笑い声が絶えなかった。
 平成23年3月11日。小高区内の食品機械製造会社で働いていた勝彦さんは富子さんが心配になり、午後3時半ごろ、海岸から500メートルほど離れた自宅に戻った。室内はたんすや食器棚が倒れ、富子さんの姿はなかった。いつも縁側にあった長靴もない。避難したと思い、会社に戻った。直後に津波が一帯を襲う。
 勝彦さんは避難所を探したが、小高区が東京電力福島第一原発事故で避難区域となり、家族と横浜市に避難した。毎週土曜日、車で横浜から南相馬市の遺体安置所に通い続けた。昨年春、小高区で見つかった遺骨が県警の鑑定で富子さんと判明した。「きっと海を見に行ったのだろう」。勝彦さんは思いをめぐらす。
 家財はすべて流されたが、ボランティアががれきの中から富子さんらが映る写真を大量に見つけ、きれいに補修した。慈愛に満ちた懐かしい笑みを浮かべていた。勝彦さんは警察や行政をはじめボランティアら多くの人の助けに頭を下げる。
 富子さんがかわいがっていた孫で勝彦さんの長男の孝久さん(26)は結婚して父親となり、次男の拓美さん(23)も社会人になった。「これからも家族を見守ってくれよ」。勝彦さんは遺影に語り掛ける。

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