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今を生きる 風評から会津守る 地元産大豆の納豆復活 みそ・豆腐用しか手に入らず 工夫重ね商品化

会津産大豆を手に納豆作りに意欲を燃やす西村さん

■若松の元祖白糸本舗社長 西村文享さん 57

 会津の食材のうまさを伝えたい-。会津若松市滝沢町の元祖白糸本舗は4月1日、東京電力福島第一原発事故発生以来、中断していた会津産大豆を使った納豆作りを再開する。風評を気にして県外産で生産を続けてきたが、社長の西村文享(ふみたか)さん(57)は地産地消へのこだわりを捨て切れなかった。地元産のみそ・豆腐用大豆を手に入れ、加工を工夫して商品化にこぎ着けた。「古里の大地が育んだ味を古里の人に届ける」と誓う。

 元祖白糸本舗は江戸時代から続く老舗。五代目の西村さんは家業を継いだ当初、輸入した大豆を使っていたが、食文化の異なる外国産で納豆を作ることに抵抗感を持っていたという。
 平成12年に転機が訪れた。みそ・豆腐などの業者が参加し、市内での大豆の生産拡大を目指す市ダイズ産地を考える会に加盟した。「古里の大豆で納豆を作りたいんだ」。西村さんから打診された市内湊地区の農家2軒が納豆用の小粒大豆の生産に乗り出す。19年には、元祖白糸本舗で使われる大豆は全て同地区産となった。値段は外国産を使うのに比べ1パック当たり数十円高くなったが、「豆の味の濃さはどこにも負けない」と誇りを胸に商売を続けた。
 納豆業者は一般的に、問屋を通して1年分の大豆を仕入れ問屋の倉庫で保管してもらう。23年3月に起きた東日本大震災の津波で、西村さんが仙台市の問屋倉庫に預けていた会津産大豆の大部分が流された。ショックは癒えぬまま、すぐさま北海道産などに切り替え、納豆の生産を続けた。
 風評被害が追い打ちを掛ける。会津の農産物、食品加工品の売り上げが低迷する中、材料を会津産に戻す勇気は湧いてこなかった。所属していた市の組織「地産地消協力店」から脱退した。18年に、第1回市あいづわかまつ地産地消大賞を受賞した西村さんにとって苦渋の決断だった。
 今年に入って、旧知の食品加工業者と話す機会があった。やはり、風評で苦しむ相手はこう言った。「諦めず、俺はとにかく動いてみる」。西村さんは心を突き動かされた。
 もう、湊地区では小粒大豆を作っていない。すぐに会津産での納豆生産を再開させるため、市内のJAあいづ直売所まんま~じゃに向かった。みそ・豆腐用の大粒を仕入れ、硬さの調節などを重ねて商品化した。
 復活する会津産大豆を使った納豆は、少量限定で元祖白糸本舗の店舗でのみ売り出す。西村さんは、いつの日か湊地区の農家を訪れ、小粒大豆の生産をお願いしてみたいとも考えている。「会津の人々に必要とされる、食べてほっとする商品を作り続けたい」。納豆作りに一生をささげた男の夢だ。
    ◇   ◇ 
 会津産大豆の納豆の販売時間は月曜~土曜日が午前7時から午後5時、日曜日は午前7時から正午まで。問い合わせは同社 電話0242(22)2268へ。

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