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2つの古里守って結ぶ 農業 遠藤祝穂さん 71 富岡

「そうそう絆サロン」で仲間と語り合う遠藤さん(右)

■「サロンでつながり保つ」

 東京電力福島第一原発事故で富岡町から喜多方市に避難した。元富岡町職員。原子力防災に携わった。むなしさが胸に刺さる。避難者のつながりを保つ「そうそう絆サロン」づくりに奔走した。見知らぬ土地で苦労を重ねた。
 「避難者を守らなくては」
 トレードマークの帽子に鉢巻き姿で語った。【平成24年1月28日付・今を生きる】


 サロンを作ったはいいが、初めはどこに誰がいるかすら分からなかった。
 初めて会津で暮らす避難者にとって雪国の暮らしへの不安や、ご近所との付き合い方など分からないことだらけだった。
 孤立させることだけは避けたかった。つてを頼って避難している人の居場所を探したり、「いわき」ナンバーの車を見付けると駆け寄って声を掛けたりと、足を棒にした。

■「人情に助けられ」

 これまで会津の人たちの温かな心に支えられてきた。野菜を栽培する畑の提供やサロンで開くイベントの手伝い...。4年の歳月がたったが、支援の輪は以前とまったく変わらない。会津地方の人情の深さを表して"会津三泣き"という。この4年間、厚い人情に触れるたびに涙が出る思いの繰り返しだった。

■「希望をつなぎ続ける」

 昨年ぐらいからサロンを利用する人が少しずつ減ってきた。古里に近い、いわき市などに引っ越していく。仲間が少なくなるのはさみしいが、思いはよく分かる。自分もいつか古里に戻りたい。ただ、今は避難している人に寄り添い続ける。時間の経過とともに思いは強くなっていく。
 昨年、使命感と周囲の勧めで住民の帰郷を後押しする富岡町農業復興組合の組合長に就いた。農業の再生は復興に欠かせない。農地除染の進み具合を確認するため、富岡と行き来することが多くなった。正直、体はきつい。
 それでも第二の古里となった喜多方に軸足を置き続けたい。避難者の心のよりどころになったサロンを守り、お世話になった人の恩義に応えるためだ。サロンは2つの古里への思いと、明日への希望をつなぐ大切な場所なんだ。

カテゴリー:「3.11」それぞれの5年

避難者が安らげる場所になることを願う遠藤さん【平成24年1月28日付・今を生きる】

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