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牧場再開できるのか 農業 遠藤幸男さん 66 川内

■「十分に生活できるはず」

 妻タミ子さんと小学生の孫2人らを埼玉県の弟宅に送り出すと自らは家族のように大切にしている牛のために村に残った。
 一斉避難の翌日からは自宅から約10キロの牧場に通った。屋内退避としていた政府が方針を転換し、自主避難を促された。
 「物資さえ運んでもらえれば十分に生活できるはず」
 【平成23年3月27日付・14面】

 肉用牛約50頭が草をはんでいた7ヘクタールの牧場は一面、雪に覆われている。雪をかぶった小高い丘のように見えるのは、除染廃棄物が詰まったフレコンバッグ(除染用収納袋)だ。これだけの量を運び出すのは時間も手間も掛かるだろう。
 村と仮置き場の契約を結んだ時は3年間の賃貸のはずだった。当初の契約期限を1年以上過ぎた今も返還の時期は、はっきりしない。フレコンバッグを運び入れる中間貯蔵施設はいつ完成するのか。環境省と用地所有者の売買契約が進んでいないと聞いているが、先祖代々受け継いだ大切な土地を手放したくない気持ちは痛いほど分かる。

■「家族を失ったも同然」

 結局、牛は全て殺処分した。初めは毎日、牧場に通って餌を与えていたが原発事故の影響で稲ワラが手に入らなくなり、やむなく放牧した。牧草を食べ尽くすと、人里近くまで下りてきて民家の敷地に入り込んだり、道路をふんで汚したりするようになった。迷惑は掛けられなかった。家族も同然に育ててきた...。今も悔しさとむなしさが込み上げる。

■「重い5年の歳月」

 牧場を再開できたら再び畜産を始めたいと思っている。ただ、フレコンバッグを置くために牧場は平らに削られ、給水管なども外された。元に戻すのはひと苦労だ。それに、それまでに元気でいられるかどうか。
 原発事故前は長男が畜産を継ぐ予定だったが、今は妻と2人の子どもで東京都に避難している。都会暮らしもすっかり板についたようだ。今さら村に戻ることは難しいだろう。孫の一人は将来、村役場に入って地元のために働きたいと言ってくれている。その日まで村はどれぐらい復興しているのだろうか。
(「3・11 それぞれの5年」は3月11日まで随時掲載します)

カテゴリー:「3.11」それぞれの5年

牧場に山積みにされたフレコンバッグと遠藤さん

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